「情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎」の最終回(実は、まだ終了していないのだよ)もアップしなければいけないのだが、「古書の森日記」(黒岩比佐子さん)で、「お札行脚」が紹介され、スタールのネタを仕込んであったのを思い出したので、そちらを先に片付けよう。
国書刊行会の「知の自由人叢書」は、順調に坪井正五郎、斉藤昌三、市島春城と刊行され、次回は沼波瓊音。おそらく、その後、フレデリック・スタールの『お札行脚』となるのであろう。同叢書の内容見本によると、スタール(1858−1933)の略歴は、
1892年、シカゴ大学で人類学講座を担当。明治37年の来日以後、30年の間に15回日本を訪れるほどの親日家で、日本では羽織袴で通した。「寿多有」の納札を作り全国の社寺を行脚したことから、「お札博士」と呼ばれた。(中略)富士山の山岳信仰にも関心を持ち5回登山。昭和8年の来日中に病に倒れ東京聖路加病院にて死去。
鳥居龍蔵の回想(注)によれば、「かのスター氏が御札を採集せられたのは、少なくとも[山中共古]先生の紹介教示によられたものと信ずる」とされる、スタール。山口昌男のようにリッチではない、「単なる古本オタク」(笑)のわすは、山口昌男の語らないスタールのトンデモ山脈に迫ってみた。
注:「私の見た山中先生」(「武蔵野」14巻2・3合併号、昭和4年。『鳥居龍蔵全集第12巻』所収)