神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

津田光造の没年が不明だ

辻潤の妹恒の夫だった津田光造については、「大川周明と楢崎皐月」(2008年4月20日)で言及した。この津田は、『日本アナキズム運動人名事典』によると、 津田光造 つだ・こうぞう 1889(明22)12.2−? 神奈川県足柄上郡南足柄村(現・南足柄市)生まれ。早…

はてな三大書物ブログ

オタオタしてても、我がブログのページビュー数が順調に176万件を超えた。 はてなの書物ブログで、ページビュー数が多いのは、本日現在で、 ・「okatakeの日記」(2005年4月2日〜)2275125件 ・「ナンダロウアヤシゲな日々」(2004年6月26日〜)1925952件 ・…

中條辰夫と中村屋サロン

金子光晴の友人だった日比谷図書館児童部の中條辰夫。元図書館員の書物蔵氏をもってしてもその経歴調査に難航しているようだ。私が調べて判明していることを補足しておく。金子の年譜によると、大正4年頃、金子は中條と新宿中村屋の二階にエロシェンコを訪ね…

中條辰夫という日比谷図書館児童部職員

おはよう、書物蔵君。 今回の君の使命は、日比谷図書館員だった中條辰夫という人物の経歴を明らかにすることである。中條は、金子光晴の「時間をかけて、わがままに」『文学的断層』に名前が出てくる。 日比谷には、僕の友人の中条辰夫がつとめていて、館長…

今年も『神田神保町古書街2012』対『神保町公式ガイド Vol.2』

『神田神保町古書街2012』(毎日ムック)と『神保町公式ガイド Vol.2』(メディアパルムック)を見る。 ・どちらも買う ・どちらも買わない ・どちらかを買う さて、どうしやう。神田神保町古書街2012 (毎日ムック)出版社/メーカー: 毎日新聞社発売日: 2011…

柳瀬正夢とマルクス書房の関わり

『無産者新聞』大正15年3月13日号から昭和4年2月1日号まで漫画を担当したのが、柳瀬正夢。『柳瀬正夢生誕100周年記念 柳瀬正夢資料集成』の「柳瀬正夢の仕事」で装幀を行ったマルクス書房発行の雑誌・単行書を見ると、・レーニン著、門屋博・関根悦郎訳『三…

第一公論社副社長上村勝彌の出版人生

上林暁の「改造社時代」に、昭和2年4月改造社に入社し、佐藤績と共に山本實彦社長に秀英舎(のち大日本印刷)へ連れていかれた時の様子が書かれている。 秀英舎の「改造」校正室へ行つてみると、編集主任であごひげを伸してゐた上村清俊氏*1(改名勝彌、後「…

日光図書館長藤井萬喜太

秋田雨雀日記に謎の日光図書館長が出てきた。 昭和6年7月18日 商工会議所へゆくと藤井という日光図書館長がいて、日光史の話をしていた。山中菊子、椎橋君(エスペランティスト)*1、乳井秀夫君(官房主事をしていた人)、各新聞社の人々にあった。藤井氏た…

『写真週報』と財団法人日本写真公社

黒岩比佐子さんの「古書の森日記」に「『写真週報』(昭和16年新年号)」を初め何度も登場した『写真週報』。昭和13年2月内閣情報部(のち情報局)により創刊、同年7月対内外写真宣伝の官庁代行機関として写真協会が創立された。協会は、翌年4月財団法人化さ…

前田夏村の活躍

大正10年に西村陽吉の東雲堂書店から独立し、紅玉堂書店を興す前田隆一が前田夏村として活動していた時期について調べると、 『青テーブル』創刊号(大正3年3月)〜3巻5号(5年7月)に短歌*1『生活と藝術』(東雲堂書店発行)大正3年11・12月、4年3月、5年1…

読売新聞「異才列伝」に村井弦斎

読売新聞日曜版の連載「異才列伝」は、松本由佳さんによる「村井弦斎」。 戦前の弦斎は、山中で仙人のような生活も試みる。当時は奇人扱いされたが、震災後の今、身をもって「自然へ帰れ」と訴えた彼の生き方には親近感を覚える。「また一つ、予言*1が当たり…

『年刊歌集』の編纂に口をはさむ関根喜太郎 

『大正十二年版年刊歌集』(関根書店、大正12年7月)の編纂者は、石榑千亦、橋本東聲、尾山篤二郎、川田順、吉植庄亮、太田水穂、前田夕暮、松村英一、窪田空穂、古泉千樫。大正十三年版も関根書店から刊行されている。北原白秋の前田宛書簡を見ると、この年…

阿佐ヶ谷会が開かれたピノチオの喫茶店時代

昭和2年2月10日付『文藝時報』に阿佐ヶ谷のピノチヨという喫茶店が出てくる。近傍に住む文士連のヒイキで頗る繁昌しているという。 その繁昌の源はその喫茶店に常に出入する通称洋妾○○子と呼ぶ女の魅力だといふから耳寄りであらう。○○子は派手な洋装のたくま…

『短歌前衛』及び『プロレタリア短歌』発禁処分の理由

私の「素人社の林田茂雄が一役買ったプロレタリア歌人同盟の結成」(9月12日)とyukunokiさんの「『短歌前衛』の発禁」で引用した『短歌前衛』に関する渡辺順三の回想は必ずしもあてにはならないようだが、同誌の発禁に関しては正しいようだ。発禁年表による…

『書物と装釘』編輯兼発行者の稲葉熊野

『書物関係雑誌細目集覧二』によると、装釘同好会の会誌『書物と装釘』は昭和5年5月創刊、同年11月3号で廃刊。編輯兼発行者は稲葉熊野、発行所は市外池袋大原1466番地、装釘同好会。同会については、会長和田萬吉、幹事小河阿丘、稲葉熊野、庄司浅水、編輯同…

満鉄哈爾濱図書館長栗栖義助と夫人つた子

「民衆図書館」については、「『中外』の内藤民治と民衆図書館」(2010年10月10日)で言及したが、秋田雨雀の日記にも、「民衆図書館」が出てきた。 昭和6年4月18日 ハルピンの栗栖蔦子女史が民衆図書館を建てるのだといってやってきた。奥むめお、織本貞代…

素人社の林田茂雄が一役買ったプロレタリア歌人同盟の結成

渡辺順三『短歌的自叙伝 烈風の中を』によると、 前にも述べた通り、『プロレタリア短歌集』の編集に五島(茂)、前川(佐美雄)、柳田(新太郎)などが参加したことで戦線統一への機運をつくったが、もう一つそれを促進する上に役立ったのは、『現代文芸』…

金沢市立図書館長小河次吉=小河阿丘と装釘同好会

昭和5年3月31日から6年5月28日まで金沢市立図書館長を務めた小河次吉という人がいる。『簡約日本図書館先賢事典』によれば、 小河次吉 おがわじきち 1900−1931 1921/金沢高工(金沢大学)図書館,1927/理化学研究所図書館,司法省図書館,1930/金沢市立図書…

三浦朱門の父三浦逸雄は既に死んでいる

安西冬衛の日記に、第一書房の編集者としての三浦逸雄が出てくる。 昭和4年10月26日 第一書房より新進詩人集ノ件ニテ来書、第一書房三浦逸雄氏へ返事、承諾。 6年10月4日 三浦逸雄氏よりセルパンに「八面城事件」をのせる件について手紙。その代りに「幻」を…

畑喜代司の経歴が判明

『詩集』昭和4年6月号(井上英子夫人追悼号)の「弔文・弔電」に名前がある畑喜代司は、各種人名事典やネットを見ても経歴が不明だったが、『文藝年鑑一九三六年版』の「文筆家総覧」に出ていた。 畑喜代司 現住所:東京市渋谷区幡ケ谷本町3ノ397 生年:明治…

アナーキスト林政雄につぶされた聚芳閣

『日本アナキズム運動人名事典』には、林政雄について、 林政雄 はやし・まさお 1901(明治34)−? 東京市本所区(現・墨田区)に生まれる。雑誌『壊人』の同人、評論「芸術の本質と階級芸術」を執筆。23年5月『赤と黒』4輯から同人となる。(略)24年10月南…

幻となった杉山茂丸の伝記と喜多川孝太郎

一又正雄著、大畑篤四郎編『杉山茂丸』(原書房、昭和50年10月)の「編者まえがき」に「杉山の伝記編纂の企図は戦前にもあったが、ついに日の目をみることなく終った(その原稿は今も福岡に保存されている)」とある。この戦前にあったという杉山の伝記編纂…

鳴海四郎こと林田茂雄と詩集社の井上英子

『詩集』昭和4年6月号(井上英子夫人追悼号)の「弔文・弔電」に掲載された詩人、歌人、作家、編輯者*1は、 河井酔茗、高村光太郎、服部嘉香、陶山篤太郎、中田信子、足立直郎、渡辺波光、南江二郎、桜庭芳露、臼井史郎、平井実、英美子、永田龍男、小畑貞一…

聚芳閣の編輯者松本清太郎についても調べただす!

小谷野敦氏のブログ「猫を償うに猫をもってせよ」の「久米正雄伝補遺」に出てくる『現代文藝』昭和2年3月号所収の座談会「文壇近頃のこと(二)久米正雄氏剽窃事件批判」の出席者四人(安藤盛・松本清太郎・鳴海四郎・金兒農夫雄)のうち、鳴海の経歴につい…

内田樹の父内田卓爾のヒストリー

「内田樹の父、内田卓爾はあやすーぃ?」(1月26日)から7ヶ月を過ぎたが、内田卓爾が諜報機関の仕事をしていたという確認はできていない。今のところ判明したのは、『人事興信録第二十二版』、『華北交通株式会社社史』、「在外日本人学校教育関係雑件/退…