神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

満鉄哈爾濱図書館長栗栖義助と夫人つた子

「民衆図書館」については、「『中外』の内藤民治と民衆図書館」(2010年10月10日)で言及したが、秋田雨雀の日記にも、「民衆図書館」が出てきた。

昭和6年4月18日 ハルピンの栗栖蔦子女史が民衆図書館を建てるのだといってやってきた。奥むめお、織本貞代両女史に紹介してあげた。

この栗栖蔦子の正体が、西孟利編著『満洲藝術壇の人々』(曠陽社出版部、昭和4年9月)*1を見ると、判明した。

栗栖義助
生年月日:明治17年5月6日
現籍:山口県吉敷郡大道村
現住所:哈爾賓図書館
学歴:陸軍士官学校
職業:満鉄哈爾賓図書館長
満洲略歴と藝術過程:大正4年渡満、5〜6年遼東新報記者、7年満鉄入社、図書館勤務、後安東に転じて14(ママ)年来哈来任。この間『植民文藝』、『第一線』を発刊して植民地文藝の伸達に貢献ありし人。つた子夫人(明治27年生)も又文藝趣味には豊かな天分を持たれ短歌は最もフレッシュな性美に富む表現佳作を新聞雑誌等に発表している外、遠州流生花と茶道に造詣深き方。愛嬢清子(大正2生)(大正14年12月12日調)

村上美代治『満鉄図書館史』によると、栗栖は大正10年8月現在満鉄安東図書館主事(館長)。同年度には夫妻*2で文部省図書館講習所へ派遣。12年5月設置の満鉄哈爾濱図書館を夫妻で運営したが、昭和5年10月夫妻は辞職したという。

義助には「哈爾濱から」『図書館研究』大正15年5月号がある*3。また、岡村敬二『「満洲国」資料集積機関概観』によると、満鉄図書館業務研究会が大正12年10月に創刊した『満鉄図書館パムフレット』の編集担当で、第1号には資料として、「婦人と図書館」という特集が組まれているという。つた子は「哈爾賓を語る」を『婦人運動』昭和4年10月号に執筆しているほか、昭和5年8月10日付『婦選獲得同盟会報』の「全国の同志より」に名前がある*4。つた子が計画していた「民衆図書館」というのは、婦人のための図書館であっただろうか。夫妻が満鉄哈爾濱図書館を辞職した理由や、その後も図書館にかかわろうとした経緯が不明だが、これ以上の追跡は、書物蔵氏にまかせておこうか。

*1:引用は『日本人物情報大系』第19巻から要約。

*2:ただし、同書では来栖と誤植。

*3:『図書館学関係文献目録集成 明治・大正・昭和前期編』第1巻による。

*4:皓星社の「明治・大正・昭和前期雑誌記事索引データベース」による。