神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

中條辰夫という日比谷図書館児童部職員

おはよう、書物蔵君。
今回の君の使命は、日比谷図書館員だった中條辰夫という人物の経歴を明らかにすることである。

中條は、金子光晴の「時間をかけて、わがままに」『文学的断層』に名前が出てくる。

日比谷には、僕の友人の中条辰夫がつとめていて、館長はじめ、同僚の原久一郎や、神君という文学青年にも紹介され、あそびには度々出かけたが、本をよみにいったことはなかった。

更に、金子の年譜によると、中條とは次のような関係があったことがわかる。

大正4年 この頃、中条辰夫と新宿<中村屋>の二階にエロシェンコを訪ねる。
  5年 中条辰夫の紹介で、保泉良輔(ママ、正しくは良弼)、良親兄弟と親交を結び、はじめて三十篇ほど詩作。
  6年 中条との共同編集で『魂の家』を三号出す。
  8年1月25日 処女詩集『赤土の家』刊行記念と渡欧送別会を、神田の牛肉店<常盤>で開く。参加者は、中条、井上康文、富田砕花、佐藤惣之助佐佐木茂索福士幸次郎、正富汪洋、石井有二、平野威馬雄、加藤純之輔。

日比谷図書館で中條と同僚だったというロシヤ文学者の原久一郎(白光)は、『日本近代文学大事典』によると、大正3年早大英文科卒、翌年日比谷図書館に就職とある。中條は立項されていない。

中條については、このほか次のことが判明している。
・『図書館雑誌』33号(大正7年2月10日)の「会員の移動」欄によると、日比谷図書館員中條の日本図書館協会入会は同年1月、今澤慈海館長の紹介である。
・大正10年10月6日付東京朝日新聞に中條の『童話集 銀の魚』(聚英閣、大正10年9月)の広告が載っていて、序文は今澤であり、また、著者については、「日比谷図書館児童部(に)於て十年近く小鳥や小鬼のやうな幼い少年少女と一緒にお噺をしたり童謡を唄つたり亦小さい舞台を造つて童話劇をしたりして来られた」とある。明治44年頃から勤務していたようである。
皓星社の「明治・大正・昭和前期雑誌記事索引データベース」にれば、同姓同名の人物が、『郊外』大正15年11月号から昭和4年12月号にかけて執筆しているほか、『探偵』昭和6年2月号に「上海の秘密」を執筆している。
・「上海の本屋さん」『紀伊國屋月報』昭和6年9月号*1で、内山書店について「また、同君はこの地に於ける童話会の創始者である。内山のオヂサンは、上海に於けるアンデルセンである」と書いている中條は、日比谷図書館員だった中條と思われる。

この中條、今澤館長の下、柿沼介とも同僚だったと思われるが、生没年など詳しい経歴が不明である。そこで、書物蔵氏にミッションが下されたわけである。例によって、君、もしくは君のメンバーが捕えられ、或いは殺されても、オタどんは一切関知しないからそのつもりで。

成功を祈る。なお、このブログは自動的に消滅する、と思う。

(参考)金子のいう「神君」は『簡約日本図書館先賢事典』にある、

神絢一 じん・けんいち 18??−19?? 最終学歴:早大、職歴:1916/東京市日本橋図書館,1921/深川図書館主任,1928/社会教育課図書館管理掛長,1932/退職(?)

と思われる。これに補足すれば、神は青森県出身で、大正5年早大英文科卒である。

*1:和田博文監修『コレクション・モダン都市文化第37巻 紀伊國屋書店と新宿』(ゆまに書房)で復刻。