神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

柳瀬正夢とマルクス書房の関わり

『無産者新聞』大正15年3月13日号から昭和4年2月1日号まで漫画を担当したのが、柳瀬正夢。『柳瀬正夢生誕100周年記念 柳瀬正夢資料集成』の「柳瀬正夢の仕事」で装幀を行ったマルクス書房発行の雑誌・単行書を見ると、

レーニン著、門屋博・関根悦郎訳『三月革命より十一月革命まで』昭和2年12月
・『プロレタリア藝術』昭和3年1月号*1
レーニン著、小堀喜一訳『戦争論 下巻』昭和3年10月
・マクシム・ゴリキー著、村田晴海訳『母 第一部』昭和4年1月、『母 第二部』同年3月

また、『政界往来』(政界往来社)昭和9年8月号〜14年4月号で断続的に装幀を担当している。柳瀬は、難波の入社(昭和11年)前から政界往来社と関係があったようだ。
更に、渡辺順三が某機関紙に連載した「わたしの短歌遍歴」には、「『短歌前衛』の表紙はプロ美術の人びとが交代でかいてくれた。岡本唐貴、大月源二、喜入巌、矢部友衛、柳瀬正夢などの人びとであった」とある。マルクス書房発行時代(昭和5年3月号〜10月号)の『短歌前衛』だろうか。

(参考)「政界往来社時代の難波英夫」(7月8日)、「政界往来社の木舎幾三郎と難波英夫」(7月14日)、「素人社の林田茂雄が一役買ったプロレタリア歌人同盟の結成」(9月12日)。柳瀬については、「国木田独歩秋田雨雀」(2007年2月3日)も見られたい。
    難波英夫及びマルクス書房については、「雀隠れ日記」の「この頃の東京」、「マルクス書房」、「難波英夫の道草」、「ワシラノシンブン」、「『短歌前衛』の発禁」、「「無産者新聞」と難波英夫」参照。

*1:皓星社の「明治・大正・昭和前期雑誌記事索引データベース」によると、昭和3年4月号に「香川で◇◇されたポスター」を執筆。