神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

中條辰夫と中村屋サロン

金子光晴の友人だった日比谷図書館児童部の中條辰夫。元図書館員の書物蔵氏をもってしてもその経歴調査に難航しているようだ。私が調べて判明していることを補足しておく。金子の年譜によると、大正4年頃、金子は中條と新宿中村屋の二階にエロシェンコを訪ねたというが、この記述の出典である「さまざまな亡命者」『伝統と現代』昭和46年1月号に興味深い人物が登場する。

最初に僕がみた亡命者の顔は、僕がまだ中学校を出ていくばくも経たない頃、新宿の中村屋というパン屋さんの店の裏のあき地にある木造西洋館の二階に住んでいたエロシェンコというロシアの亡命者を、友人の中条辰夫といっしょに会いに行ったときであった。(略)中条は、彼の友人の秦学文という朝鮮人の文学青年につれてゆかれたらしく、秦は、エロシェンコの北支滞在中から彼と親しかったもののようだ。

秦学文!ここで秦に出会うとは。秦については、
・「篁白陽のすめら連邦構想」(2月15日
・「ボースと親しかった秦学文の経歴」(3月7日
・「秦学文を『原敬関係文書』に発見」(4月14日
・「秦学文とエロシェンコ」(5月1日
を参照されたいが、大正2年早大英文科入学である。金子は大正3年4月早大高等予科文科入学、4年2月中退であり、金子が中條から紹介された図書館員原久一郎(白光)や神絢一も早大英文科卒である。そうなると、中條も早大卒かと思いきや、校友会会員名簿に名前はない。早大中退なのか、そもそも無関係なのか、不明である。いずれにしても、中條が秦とともに中村屋サロンに連なる人物だったとすると、面白い。

(参考)「書物蔵」の「中條辰夫 biblio?

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