神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧

鳥居龍蔵の孫娘鳥居玲子の母親、そして父親は?

三田村鳶魚の日記に鳥居龍蔵に関する驚くべき記述があって、前から気になっている。 昭和17年7月17日 ○鶴岡氏話に、鳥居竜蔵氏娘が外人と駈落せし由、その外人は宣教師にて嫌疑者なり、引いて竜蔵氏も嫌疑され、外出には監視つきとか。 「鶴岡氏」は、鶴岡春…

明治44年創刊の『鉄道画報』

斎藤昌三の『現代筆禍文献大年表』によると、大正2年9月『鉄道画報』は風俗壊乱を理由として発禁。調べてみると、大正元年12月15日付東京朝日新聞の「近刊雑誌」に「鐵道畫報(二の一二)」とあり、明治44年1月に創刊された雑誌のようだ。少なくとも、明治44…

本屋風情岡茂雄の本音

三村竹清の日記に岡書院の岡茂雄が出てきて、面白い。 大正15年9月27日 岡書院主 岡茂雄 内田君之紹介にて来 鳥居さんは利益之為にあちこちの書林より出版されるのて 評判あしき由 南方君は南方閑話之件にて中山氏とおもしからす 近頃悴気か狂ひて経済上にも…

田端の天然自笑軒に集う芭蕉研究会のメンバー

『秘密辞典』(千代田出版部、大正9年6月)の著者自笑軒主人の正体として中山太郎を提示してみた*1が、実際中山ならあの辞典を一人でも執筆できそうである。しかし、説としては自笑軒に集う文人グループの合作とする方が面白そうだ。引き続き、どういうグル…

『西洋画報』と横山有策

明治期に発行された『東洋画報』(のち『近事画報』)については、黒岩比佐子さんの『編集者国木田独歩の時代』に詳しいが、大正期に発行された『西洋画報』という雑誌については、文献はないようだ。明治新聞雑誌文庫は所蔵しているようだが、さすがの黒岩…

慶應卒業を控えた竹田龍児の就活

相変わらず就職戦線は厳しいようだが、昭和9年慶應義塾大学卒業の竹田龍児も、苦労したようだ。昭和8年12月24日付け三好達治の桑原武夫宛書簡によると、 これは少し私的のことになりますが、貴兄の友人で天理外語(?)に勤めてゐられる方(略)は、何といふ…

米子図書館史と水木しげるの大叔父住田寅次郎

水木しげる氏の大叔父(水木氏の父方の祖母の弟*1)には東京帝国大学出身者もいる。水木氏の父武良亮一の母の弟である住田寅次郎である。ウィキぺディアの「水木しげる」の項からの孫引きとは情けないが、引用させてもらうと、 元米子市長野坂寛治の著書『米…

水木しげるの大叔父住田良三パリに死す(その2)

spin-edition氏ご教示の橋爪節也編著『モダン道頓堀探検』を読んでみた。「キャバレー・ヅ・パノン」*1の常連だった住田良三について、橋爪氏が書いている。しかし、水木氏との関係や住田の生没年に言及されておらず、一安心。目新しいこととしては、 ・絵描…

水木しげるの大叔父住田良三パリに死す

住田良三を平凡社の『新撰大人名辞典』(昭和12年10月。復刻:『日本人名大事典』)でみると、 スミダリョーゾー 住田良三(一八九一−一九二〇) 大正時代の洋画家。大阪の人*1。洋画を能くして令名があったが、また多才にして松井須磨子、伊庭孝らと共に劇…

直木三十五を読む横田順彌と會津信吾

筒井康隆氏が、「直木三十五なんて、誰か読んだ?」と揶揄する直木*1だが、横田順彌氏や會津信吾氏は読んでいるのであった。『新・日本SFこてん古典』(徳間文庫、昭和63年8月) の「第四講 意外な作家、意外なSF」で、村田春樹名義の未来戦記『太平洋戦…

ポール・ケーラス『仏陀の福音』のもう一人の訳者

ポール・ケーラスのThe Gospel of Buddhaの邦訳は鈴木大拙の物がよく知られているが、八幡関太郎による大正8年9月誠文堂書店版もある。同書の「訳者序」によると、 自分が此本を始めて知つたのは今から四年前のことである。(略) 自分が此本を訳したのは…

読売新聞「緩話急題」に『古本検定』登場

9月10日付読売新聞朝刊の「緩話急題」に文化部次長尾崎真理子さんが、古本話を書いていた。「日本の古本屋」を愛用している尾崎さんが、たいていのリストに顔を出す「高原書店」が気になり町田の本店を訪ねたという。本店長の池原実歩さんや現社長の高原陽子…

『秘密辞典』の著者自笑軒主人の正体はあの学者だった!?

その男は、明治32年東京専門学校(のちの早稲田大学)邦語法律科を卒業。35年俳人岡野知十が主宰する『半面』に参加。36年から大正2年にかけて、電報新聞、報知新聞などに勤務。同年報知を退社して、柳田國男に師事。4年博文館に入社。仕事をそっちのけで、…

菊池寛の記録に漏れたる天然自笑軒における河童忌の出席者

田端の天然自笑軒で開催された河童忌の出席者については、一部ではある*1が菊池寛が『文藝春秋』に書いてくれている*2。たとえば、昭和9年開催分について見ると、「芥川龍之介八回忌くさぐさ」*3に、 芥川文子、芥川比呂志、葛巻義敏、下島勲、徳田秋聲、内…

戦前の河童忌と田端の天然自笑軒

河童忌については、戦前田端の天然自笑軒で開催されたとされる。芥川龍之介の長男芥川比呂志も「河童忌」*1で、 毎年、七月二十四日が近づくと、河童忌の集まりを想い出す。父の命日である。 田端の、天然自笑軒の、六畳、十畳二間つづきの座敷へ、参会の方…

田端の天然自笑軒と俳人岡野知十の深い関係

天然自笑軒の創業者宮崎直次郎の孫小林素次氏によると、天然自笑軒は宮本百合子、佐多稲子、吉田絃二郎、室生犀星、内田百輭、久保田万太郎、小島政二郎らの著述に出てくるという。このうち久保田の著述とは、「「引札」のはなし」*1と思われる。 なほ『鴎外…

予言はちょっこし当たり、ちょっこしハズレた

猫猫先生の「企業秘密」だった本が、『久米正雄伝』だと発表された。私は、かつて(http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20091014/p1)猫猫先生は久米伝を書くと予言したが、これが当たった。しかし、「出版社が見つからず」ははずれた(笑)。まあ、冗談だったわ…

なんて間がいゝんでせう(その2)

黒岩さんによると、「なんて間がいゝんでせう」は明治42年頃から流行していて、44年1月管野すがが獄中から堺為子に宛てた書簡などにも使用されているという。この流行語だが、三田村鳶魚の日記によると、 明治45年1月29日 ○なんて間がいいんでせうといふ流行…

水木しげるの父武良亮一

国会図書館の近代デジタルライブラリーで『早稲田大学校友会会員名簿 大正14年11月調』が見られるが、これによると、水木しげるの父武良亮一は、大正7年大学部商科卒。大正14年当時は米子銀行支店員、住所は鳥取県境町四八四。クビになった銀行とは米子銀行…

岡野知十と『家庭実習講義録』

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』の書籍コード123は、『家庭料理講義録』第一号(東京割烹講習会、明治45年4月初版、同年7月三版)。「料理の通信教育のテキスト」ということだが、この十年前には同種のテキストが存在していたようだ。明治35年5月11日付読売新聞…

姉崎正治の講義「神秘主義」を聴いていた武林無想庵

磯前順一・深澤英隆『近代日本における知識人と宗教 姉崎正治』所収の年譜によると、姉崎はドイツ留学からの帰国の帰り、明治36年3月マドラスの神智学協会本部に、アニー・べサントを訪問。同年6月神戸着、9月には、東京帝国大学文科大学助教授を休職し、講…

谷崎潤一郎のラーマとのランデヴー

私が、初めてラーマーヤナというインドの古代叙事詩を知ったのは、恥ずかしながらデニケンの『未来の記憶』ではないかと思う。 ラーマヤーナには、空中飛行機のヴィマナが水銀と強風の力で高空を走ることになっているが、それを読んでもわれわれはべつに驚か…

あやすーぃインド人シャストリーはやはり首相になれなかった

あやすーぃインド人シャストリーの消息が多少判明した。『変態心理』1巻5号(大正7年2月)に、在留印度人エツチ・ピー・シヤストリーとして「潜在意識」を書いている。イニシャルから、戦後第三代インド首相となるラール・バハードゥル・シャーストリーとは…