神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

水木しげるの大叔父住田良三パリに死す

住田良三を平凡社の『新撰大人名辞典』(昭和12年10月。復刻:『日本人名大事典』)でみると、

スミダリョーゾー 住田良三(一八九一−一九二〇)
大正時代の洋画家。大阪の人*1。洋画を能くして令名があったが、また多才にして松井須磨子、伊庭孝らと共に劇壇に身を投じて舞台にも活躍した。大正九年渡仏して画道に精進中病を獲、パリのサンクルー山上病院にて客死す。年三十。

この人が、水木しげる氏の大叔父(水木の父武良亮一の叔父)でパリにおいて30歳で客死した画家と思われる。昭和12年発行の人名辞典に名が出ているとは、その時点でもまだ知名度がある程度高かった証拠であろう。なお、ウィキぺディアの「水木しげる」の項に「住田良造」とあるのは、何かの間違いか*2。上記辞典の生没年も誤りのようで、大正10年5月12日付東京朝日新聞によると、

住田良三氏客死す
大阪の新進洋画家住田良三氏は昨年五月織田明氏*3と共に渡欧し爾来仏国で研究中の所昨年末倫敦へ旅行中風を引いたのが因て其後巴里郊外のサン・クルー山上の病院に入院療養中の所肺炎に変じたる為め遂 [「に」の欠か]去る四日午後五時死去したとの悲報が来た享年三十
氏は (「嘗」の欠か)て新しい劇壇に身を投じた松井須磨子伊庭孝氏と同じ舞台に活躍した事もあり多能多才の才人であつた因に友人清(?)原氏が遺髪を携へて今秋帰朝する由である(大阪電話)

とあるので、生年は1892年(明治25年)、没年は1921年(大正10年)が正しい。

住田の舞台での活躍は、当時の新聞でも報じられ、大正3年12月18日付東京朝日新聞の名倉生「本郷座の藝術座」には、島村抱月の藝術座が本郷座で演じた「剃刀」について、「住田良三の岡田参事官も髯の見合やら藝に沈着が出来たやらで参事官らしくなつた」とある。また、大正4年4月29日付同紙の名倉生「須磨子の三役」には、藝術座が帝劇で演じた「その前夜」について、「住田良三のシユウビンは軽妙である」としている。いずれも松井須磨子が出演している。このほか、藝術座の大正3年8月歌舞伎座での「マグダ」(故郷)の女中テレゼ役・「ヂオゲネスの誘惑」の哲学者ヂオゲネス役として須磨子と共演している。水木氏が言う「松井須磨子の劇団で背景の絵を描いていて、ちょい役で出演したりしたという」程度の関わりではなかったようだ。

住田は、複数の劇団を渡り歩いていたようで、大正2年10月伊庭孝の新劇社が旗揚げ公演した「チョコレエト兵隊」にサアジャス・サラノフ少佐役として出演し、大正3年4月には近代劇協会の「ノラ」にニルス・クログスタッド役として出演している。住田は同年夏に同協会から藝術座へ移籍している*4が、同協会の上山草人に俳優奪取事件として非難されたことが、大正4年3月24日付読売新聞の島村抱月「再鈴木富士彌氏に呈す(一)」などでわかる*5

以上のように住田の俳優としての経歴*6は比較的判明したが、画家としては、大正4年の第9回文展に「林檎を持てる女」、翌年の第10回文展に「青い窓」を出品したことが判明しただけである*7。いずれも、西洋画の部門である。水木氏の大叔父となると、この絵画が発見されれば、相当な値がつくかしら。

さて、ここで話を終えると、林哲夫氏あたりから、「ちょっと待った!」と言われるかもしれない。橋爪紳也モダニズムのニッポン』にある記述について言及しておこう。鶴丸梅太郎、百田宗治、鍋井克之、宇野浩二らとともに、住田は、道頓堀中座の真向かいにあったキャバレー・ド・パノン(愛称「旗のバー(酒場)」)の常連だったという。

(参考)9月7日

*1:日外アソシエーツの『美術家人名事典』(平成21年2月)にも、出生地大阪府とあるが、大正5年10月13日付山陰日日新聞には、米子生まれの住田良三の「青い窓」が第10回文展に入選したという記述があるらしい(筆者未見)。

*2:ついでに言うと、「住田寅二郎」とあるのは、「住田寅次郎」と思われる。

*3:大正9年4月22日付東京朝日新聞「学藝たより」に、「織田明氏 五月四日朝神戸出帆三島丸 (「に」の欠か)て一年半欧洲諸国を遍歴する由」とある。

*4:抱月の記事による。藝術座において確認できる初演は、大正3年7月の福沢邸内小劇場における第1回研究劇「ヒヤシンス・ハルヴェー」のハルヴェー役(主役)。

*5:「俳優奪取事件」については、岩町功『評伝島村抱月』(石見文化研究所、平成21年6月)に詳述され、「問題の住田良三は大正三年七月の研究劇に俳優として出演した。しかし、一年半後の大正五年以後の芸術座のキャストにはその名前はない。又、他の劇団に移ったのかもしれない」とある。

*6:主に、田中栄三『明治大正新劇史資料 』を参考にした。

*7:ググると、大正8年4月〜5月大阪天王寺美術館の第1回自由展覧会に出品しているようだ。