spin-edition氏ご教示の橋爪節也編著『モダン道頓堀探検』を読んでみた。「キャバレー・ヅ・パノン」*1の常連だった住田良三について、橋爪氏が書いている。しかし、水木氏との関係や住田の生没年に言及されておらず、一安心。目新しいこととしては、
・絵描きとしては、松原三五郎*2に学んだこと。
・大正2年(5月)近代劇協会が大阪の帝国座で「ファウスト」を興行したとき、伊庭孝(舞台監督)が、パノンを訪れ、原稿書きをしていた住田の物腰や言行が洗練され垢抜けしていたので、スカウトしたこと。当時、住田は絵も文章も書くという約束で三流新聞社の二日おき出勤の記者だったという(典拠は宇野浩二『文学の三十年』)。
・住田の没後、遺品は連絡先だったパノンに送り返され、足立源一郎ら友人がパノンに集まり、形見の品を箱につめる際、セザンヌやルノアールの画集も収めた。これらは、パノンで焼かれ、涙の追悼をした煙がパノンの窓から道頓堀川へただよったという(典拠は長谷川幸延『笑説法善寺の人々』)。
橋爪氏に補足すると、パリ客死説のほか、ロンドン客死説にも言及しているが、既に見た大正10年5月12日付東京朝日新聞の訃報や、同年4月14日付読売新聞の「よみうり抄」に「住田良三氏 仏蘭西で肺患重態だ」とあり、ロンドン客死説は誤伝である。
また、住田の初舞台について、宇野の「復活」のネフリュードフ役説や鍋井克之の「デオゲネスの誘惑」の主役説をあげているが、既に見たように伊庭の「新劇社」の旗揚げ公演出演が、確認できる最初の出演である。なお、この初役については、宇野も前掲書に「後記」として「住田の初役は、『チョコレエト兵隊』のサラノフ中(ママ)佐である。これは、私は見たが、実に上手であった」と書いている。
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『図書新聞』9月25日号の内堀弘「耽奇日録(160)」は、『彷書月刊』の終刊について。「この雑誌が編んだ三百の小さな物語の中で、書物は今もいきいきとしている」と。駆け出しの古本屋時代に創刊され、この雑誌を読みながら、幾度も「古本屋ほど面白い仕事はない」と思ったという内堀氏なので、思いの外多くの原稿が集まったため終刊号の発売が今月末日に遅れるのは、「ちょっと嬉しい報せ」だとのこと。『彷書月刊』とともに歩んだ内堀氏ならではのセリフだろう。
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「黒岩比佐子堂」にて待つ(o^∇^o)ノ なんちて。
黒岩さんの書評は、今週は翻訳書の番で、リチャード・コニフ『飢えたピラニアと泳いでみた へんであぶない生きもの紀行』(青土社、2010年7月)。
- 作者: リチャード・コニフ,長野敬,赤松眞紀
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2010/07/24
- メディア: 単行本
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