田端の天然自笑軒で開催された河童忌の出席者については、一部ではある*1が菊池寛が『文藝春秋』に書いてくれている*2。たとえば、昭和9年開催分について見ると、「芥川龍之介八回忌くさぐさ」*3に、
芥川文子、芥川比呂志、葛巻義敏、下島勲、徳田秋聲、内山保、内田百輭、佐藤春夫、菊池寛、神代種亮、鈴木氏亨、三好達治、伊藤貴麿、永見徳太郎、竹内眞、谷口喜作、小島政二郎、小島みつ子、菅忠雄、佐佐木茂索、佐佐木房、斎藤龍太郎、南部修太郎、和木清三郎、堀辰雄
とある。ところが、この出席者から漏れている人がいる。津村信夫の「一九三四年日誌(抄)」*4に、
自笑軒の記
芥川龍氏の法事あり。葛巻、堀両氏の電話にて、そぼふる雨の夜、自笑軒に行く。
菊池寛を初め御歴々揃ひたり。
小島政先生、和木氏にアイサツス。三好達治に逢ふ。久カツなり。ソボ降る雨を見ながら、白地の浴衣に袴をはける三好氏と語る。芥川夫人に詔[紹]介さる。貞淑なる夫人なりき。
とあり、津村も出席していたはずだが、菊池はなぜか記録していない。
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