神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

田端の天然自笑軒に集う芭蕉研究会のメンバー

『秘密辞典』(千代田出版部、大正9年6月)の著者自笑軒主人の正体として中山太郎を提示してみた*1が、実際中山ならあの辞典を一人でも執筆できそうである。しかし、説としては自笑軒に集う文人グループの合作とする方が面白そうだ。引き続き、どういうグループが自笑軒を利用したか調べていこう。

阿部次郎の日記によると、

大正5年12月7日 午後三時過家を出、銀座の中山と共に歌舞伎へ。岡野知十の息子と吉田鼓山といふ人に初対面、吉原の小夏に久しぶりであふ

大正9年4月10日 三時頃から出かけて田端へ芭蕉会、今度から小宮も来る、自笑軒で晩食酒に酔つて台上を散歩す。

    11月7日 午後芭蕉研究会第一回にて田端の太田貞一方へ行く、沼波、安部来会、春の句中十句ばかりの話をしあひて十時過帰る。

  11年4月3日 午後田端行、午後まで芭蕉会、それから自笑軒で送別会あり、八時酒に酔ひて其処を出で一同上野まで散歩して十一時帰宅す

最後の「送別会」は、翌月の阿部の欧州渡航のためのものである。「芭蕉研究会」は田端の太田水穂(本名・貞一)宅で行われ、当初の会員は、阿部、太田のほか、沼波瓊音安倍能成幸田露伴で、大正10年に小宮豊隆和辻哲郎が加わった。田端ということで、自笑軒で会食をしたこともあったようだ。偶然のことだろうが、岡野知十の名前も出てきて面白い*2。「知十の息子」とは、仏文学者の岡野馨だろうか。

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馬場マコト『戦争と広告』(白水社、2010年9月)が出てた。

戦争と広告

戦争と広告

*1:9月13日参照。

*2:9月10日参照。