神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

戦前の河童忌と田端の天然自笑軒

河童忌については、戦前田端の天然自笑軒で開催されたとされる。

芥川龍之介の長男芥川比呂志も「河童忌」*1で、

毎年、七月二十四日が近づくと、河童忌の集まりを想い出す。父の命日である。
田端の、天然自笑軒の、六畳、十畳二間つづきの座敷へ、参会の方々がつぎつぎにお見えになる。会がはじまった時、私は九歳。小学三年生であった。(略)
この河童忌の集まりは、昭和十九年に終った。自笑軒は翌年四月、空襲で焼失*2、廃業した。

と書いている。また、自笑軒の創業者宮崎直次郎の孫小林素次も河童忌は戦災にあう迄自笑軒で毎年行われたとしている。

ところが、佐藤春夫の年譜*3によると、昭和16年7月24日田端自笑軒開催の河童忌に出席。17年記載なし。18年7月24日染井慈眼寺の河童忌に出席。19年記載なし。少なくとも、昭和18年の17回忌は墓のある慈眼寺で開催されたようだ。

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図書新聞』9月18日号に黒岩さんの『古書の森 逍遙』の書評あり。ちょっこし、意見が・・・

*1:小説新潮』1979年8月号。

*2:昭和20年4月13日深夜から翌日未明にかけての空襲と思われる。

*3:『定本佐藤春夫全集別巻2』。