神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

鳥居龍蔵の孫娘鳥居玲子の母親、そして父親は?

 三田村鳶魚の日記に鳥居龍蔵に関する驚くべき記述があって、前から気になっている。

昭和17年7月17日 ○鶴岡氏話に、鳥居竜蔵氏娘が外人と駈落せし由、その外人は宣教師にて嫌疑者なり、引いて竜蔵氏も嫌疑され、外出には監視つきとか。

 「鶴岡氏」は、鶴岡春三郎。経歴については、別途アップする予定だが、鳥居とは親しかった人物である。開戦後、米国ミッション系の燕京大学の客員教授だった鳥居が監視下に置かれたのは事実*1だが、娘が嫌疑者(スパイ?)の宣教師と駆落ちしたためというのは、初耳だ。もしかしたら、誤伝かもしれないが。鳥居の娘は二人いて、長女が幸子、次女が緑子である。一家は敗戦後日本に引き揚げてくるが、昭和26年12月7日付読売新聞夕刊によると、鳥居夫妻と、次女*2幸子(45)、次男龍次郎(35)、三女緑子(40)の長女玲子(17)が帰国し、幸子の話によると、緑子は、「戦前からお父さんの助手をしていた中国人の現在燕京大学政治学教授をしている張雁深氏と恋愛から結婚に進みもう三つになる秋子という子供もあるので帰国することは断念しました」という。なお、中薗英助氏が『鳥居龍蔵伝』で玲子を幸子の子としている。昭和11年1月30日付東京朝日新聞によると、幸子は昭和9年に結婚しているというので、幸子の結婚後直ぐに玲子が生まれたとすれば、昭和26年に17歳というのは合致するので、玲子は幸子の娘というのが正しそうである。
 なお、管見の限りでは、玲子の父親について書かれた文献は存在しない。なぜだろう。玲子の父親は?そして、駆け落ちしたというのは、どちらの娘で、いつ誰とどういう理由で駆け落ちしたのか?これは、文献だけでは解けそうもない疑問である。

(参考)幸子は、明治40年3月23日生。大正13年聖心女子学院卒業後、パリで美術史・考古学を学んだ。昭和2年パリで客死した兄龍雄の遺骨を持って帰国。緑子は、明治43年5月2日生。和田三造、山本鼎、渡邊庄三郎、井上和雄らに師事した。昭和7年現在で聖心女子学院在学。昭和12年渡米し、ボストン美術館員を務めた。13年帰国した後、北京の一家に合流。

*1:2007年3月3日参照。

*2:一般的には、幸子が長女、緑子が次女とされるが、戦前の『人事興信録』によると、長女初音(明治37年10月生)は神奈川県人大塚彌人の養子となったという。