神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

本屋風情岡茂雄の本音

三村竹清の日記に岡書院の岡茂雄が出てきて、面白い。

大正15年9月27日 岡書院主 岡茂雄 内田君之紹介にて来 鳥居さんは利益之為にあちこちの書林より出版されるのて 評判あしき由 南方君は南方閑話之件にて中山氏とおもしからす 近頃悴気か狂ひて経済上にも困る由 弟放埒にて仕送りもなく 酒もやめし由 それを中山氏か今も二升はのむとかきたりとて立腹といふ 岡書院も二度田辺へ行きしか 本屋は狂かゐて自分は門屋やの所に居り 家てハ大きな声もせす 岡かきたので悴の病気か重つたなとゝいはれ困りし由 出版之事につきてハ前のてかミで言つた事を忘れ 我まゝのミいひて困るよし也 流石之博識翁も腹が拵へてない故 いさとなるとしとろもとろと見えたり キの毒也

   10月6日 岡書院主来る 陸軍少尉となりてやめたるよし也

「内田君」は内田魯庵、「鳥居」は鳥居龍蔵、「南方君」は南方熊楠、「中山氏」は中山太郎。岡の本音がうかがえて面白い記述である。「南方閑話之件」とは、『南方随筆』(岡書院、大正15年5月)の巻末に中山が書いた「私の知つてゐる南方熊楠氏」のことと思われる。中山は、南方について、「今でも毎日のやうに日本酒二升(冷酒が好物)と麦酒三四本を平げて平気だと云ふから、此の分なら十年位は大丈夫と思はれる」と書いている。また、岡は、田辺の南方邸を訪問した際の出来事については、『本屋風情』で、

後日の翁のお手紙に、玄関に立った洋服姿の君を、病気の悴が覘き見して、医者と間違え荒れて困った。そんなわけだから、客人は家に通すことができないのだという意味の御説明があった。御子息の熊弥さんは、その前年発病とか、私のうかがった頃は、まだお宅で療養しておられたのである(洛北の岩倉病院に移られたのは昭和三年五月である)。

としている。

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今週の黒岩さんの書評は、小谷充『市川崑タイポグラフィ 「犬神家の一族」の明朝体研究』(水曜社、2010年7月)。しかし、面白い本を見つけてくるなあ。

市川崑のタイポグラフィ 「犬神家の一族」の明朝体研究

市川崑のタイポグラフィ 「犬神家の一族」の明朝体研究