神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

柳田國男もお仕事、お仕事

宇都宮太郎の日記*1によると、

大正2年9月11日 (略)倉田隆吉(南洋事業に志し床次の紹介にて来訪、二千円の出資を願ふなり)(略)来衙。


    9月29日 宮内[内閣]書記官柳田国男、床次の代を兼ね倉田の為め旅費の相談に来る。幾分は調達すべきも暫く待つべきを告ぐ。


    9月30日 (略)柳田国男(倉田の旅費に付き)(略)来衙。


   11月3日 法制局参事官柳田国男(倉田旅費の件)(略)来衙。


  5年11月6日 南洋事業に従事せる倉田隆吉、亦此午后来宅。今までの南洋、大阪の事業共に面白からず、此度遺産を処分し一家を挙げて爪哇島スラバヤに移住、全資力三千円前后の資本を以て陶業に従事するの決心にて、一旦上京する途中立寄れるなり。同人は現貴族院書記官長柳田国男の紹介にて、参謀本部第二部長時代に其初度南洋渡航を補助せしことある関係の人なり。


従来の柳田の年譜にはもちろん記載のない事実である。官僚時代の柳田のお仕事、といっても、床次竹二郎は内務次官を辞任し、大正2年2月に鉄道院総裁になっているので、床次の代理と言っても、正式の仕事ではない。

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昭和3年8月 「幽霊と怪談の座談会」 主婦之友

*1:日本陸軍とアジア政策 陸軍大将宇都宮太郎日記2』