須藤功『宮本常一:人間の生涯は発見の歴史であるべし』(ミネルヴァ書房、令和4年5月)121・122頁に
(略)澁澤邸に泊まっていた[昭和二〇年六月]一一日に、日本銀行総裁になっていた澁澤敬三から聖戦技術協会へはいるように勧められた。陸軍の仕事で農村視察するのだという。承諾して陸軍省へ行って要人に会い、農村の実情を話した。(略)
とある。また、134頁には、
[昭和二一年]二月二六日の朝九時半に品川に着くと、まず小石川林町(文京区)の新自治協会へ行き、次いで常民生活科学技術協会に亀井貫一郎を訪ねた。そこで月の半ばだけ勤めて手伝ってくれといわれた。あまり気のすすまぬまま了解しておいた。
とある。これはやや不親切な記述である。というのも、「旅する巨人宮本常一が寄り道した聖戦技術協会(その2) - 神保町系オタオタ日記」で紹介したように、常民生活科学技術協会は聖戦技術協会を戦後改称したものだからである。そして、恐ろしい話だが、「731部隊と亀井貫一郎 - 神保町系オタオタ日記」で発見したとおり、聖戦技術協会は七三一部隊に協力した団体である。更に恐ろしいことに「聖戦技術協会と下山事件 - 神保町系オタオタ日記」で見たように、下山事件とも繋がってくる可能性がある。科学史や医学史の研究者はまだ聖戦技術協会に注目していないようだが、詳細が不明なので是非調べていただきたいものである。
この聖戦技術協会、戦後公職追放の対象になる団体に指定されてもよさそうなものだが、指定されていない。例えば「昭和22年勅令第1号公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令の施行に関する命令」(昭和22年閣令内務省令第1号) 別表第1第4号2ハには国防機械化協会が、同表第7号備考6号及び別表第2第11号には昭和通商株式会社*1が指定されているのである。しかし、聖戦技術協会は見当たらない。これは、七三一部隊が戦犯や公職追放を免責されたのと併せて、関連団体である聖戦技術協会も公職追放を免れたのかもしれない。ただし、理事長である亀井は「翼賛政策局東亜部長著書」を理由として、公職追放にはなっている。およそ戦争責任とはほど遠そうな常一ではあるが、随分怪しい団体と関係していたことになる。