神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

東洋文庫司書でアメリカ議会図書館へ留学した沼田鞆雄と坂西志保さん

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 石井敦先生の『簡約日本図書館先賢事典:未定稿』(石井敦、平成7年3月)の向こうを張って、「オタどん編著『簡約大日本図書館先賢事典 未定稿』 - 神保町系オタオタ日記」をまとめたことがある。その後、館界でこれに刺激を受けたか(まさか)、日本図書館文化史研究会編『図書館人物事典』(日外アソシエーツ、平成29年9月)が刊行された。多数の図書館関係の人物が収録されたものの、割愛された人物も多いようだ。こういう人物事典に記載されていない無名、半有名な人物こそ面白く注目すべき存在である場合が多い。
 今回は、東洋文庫の司書だった沼田鞆雄を紹介しよう。『東洋文庫五十年史』(東洋文庫昭和14年1月)の「旧文庫員及雇傭員」によると、司書として昭和9年5月*1~8月、12年10月(再任)~13年9月の2度に渡り勤めている。肩書きは、「文学士/経済学士」である。国会図書館オンラインの著者標目では明治39年生である。
 この沼田に注目した切っ掛けは、神田信夫・山根幸夫編『戦中戦後に青春を生きて:東大東洋史同期生の記録』(山川出版社、昭和59年4月)の石川英夫「東亜研究所の時代」中の次の記述である。

 入所後、何週間かが経って私が正規に配置されたのは、志望どおり中国関係の調査研究を担当する第三部であった。直属のボスは(社会班主事)は大先輩の沼田鞆雄氏であり(略)とくに、戦前ワシントンの議会図書館に留学された沼田氏は根っからのリベラリストであり、同氏を囲んで先輩たちが闘わせる「現代シナ論」に耳を傾けながら、「ああ、やっと志望の場所に落ち付けたな」との感を深くした。

 戦前のアメリカ議会図書館というと日本部長を務めた坂西志保*2が真っ先に浮かぶ。そこに「留学」した日本人もいたのかと驚いたのであった。『東京帝国大学卒業生氏名録』(東京帝国大学昭和14年4月)で調べると、沼田は昭和7年3月東京帝国大学文学部東洋史学科卒、9年3月同大学法学部経済学科卒である。アメリカ議会図書館で「留学」していた時期は不明。「グーグルブックス」で検索すると、『米国議会図書館・坂西資料:沼田鞆雄書翰』(昭和14年)がヒットするので、留学したのは事実のようではある。
 昭和13年9月に東洋文庫を辞めているのは、同月創立の東亜研究所に勤めるためと思われるので、「留学」していたのは9年8月~12年10月だろうか。戦後は農業関係の訳書を多く執筆しているものの、特に館界に見るべき業績は残していないようだ。もう少し経歴の分かる資料はないだろうか。
追記:『文化人名録』(日本著作権協議会、平成13年10月)によれば、沼田は明治39年7月生