神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

上原清二の飛騨神代遺跡研究会と『中外日報』の真渓蒼空郎ーー尾崎翠・萩原朔太郎・山村暮鳥が載る『中外日報』ーー

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 武田崇元氏の八幡書店から刊行された上原清二『世界の神都 飛騨高山』(昭和60年10月)に『飛騨神代遺跡研究会提唱の辞』が覆刻されている。そこに第1回から第3回までの研究会の出席者名簿が載っている。第1回分だけ挙げておこう。
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 天津教の信奉者とされる人がチラホラ見受けられる。国家主義団体皇道社の関係者が4名もいる。国会デジコレで見られる『全国国家主義団体一覧:昭和16年10月現在』によると、皇道社は、昭和15年9月創立で、性格は「「日本皇政会」会長今泉定助ノ喜寿祝賀記念事業トシテ設立サレタモノ」とある。総裁は今泉定助で、理事は簡牛凡夫、松井七夫、吉田光長、刈屋守弘ら、監事は藤岡好春らである。皇道社のメンバーは、総裁の今泉か監事で研究会の発起人である藤岡に誘われて参加したか。
 発起人の上原陸軍砲兵大佐については、
大場磐雄『楽石雑筆』に酒井勝軍と上原清二ーー1月23日第4回「オカルティズム史講座」開催ーー - 神保町系オタオタ日記」参照。戦後は、正規陸軍将校として公職追放
 同じく発起人の二口孫一は、「グーグルブックス」で検索すると、『高山市史』がヒットし、笠ヶ岳鉱山主だったことが分かる。前記提唱の辞には二口が第3回研究会(昭和16年4月19日)で「私の所信の出発点は満二ケ年間の山籠り生活中即ち海抜二千九百米の笠ヶ嶽で特に冬期間は村里と交通杜絶の雪中穴居中に受けました夢と云はうか、現つゝと云はうか、或ひは霊感とも云ふかに始つて居るのでありまして、証拠とか文献とか云ふものは一つもありません」と発言したことが記録されている。
 最後の発起人藤岡は、『神道人名辞典』(神社新報社、昭和61年7月)に立項されていて、明治14年山梨県生まれ、昭和8年全国神職会専任理事、19年神宮奉斎会会長、44年没である。戦後は、「皇国同志会理事」を該当事項として公職追放
 第1回研究会に出席している中外日報東京支社の真渓蒼空郎は、第3回研究会にも出席している。もちろん天津教の信奉者ではなく、取材で出席したのだろう。苗字から分かるように、同紙の創刊者真渓涙骨(またに・るいこつ)の息子である。せっかくなので、『涙骨抄Ⅱ:天来の妙音』(法藏館、平成20年3月)を読んでみた。「『中外日報』主要執筆者リスト(創刊~一九五六年)」が特に注目である。幾つか、抜き出しておこう。

桜沢如一
「宗教が科学を指導する日」(S17・5)
「食」(S17・11)★
「観光国家より和の技術」(S22・6)
福来友吉
「余が信仰の経歴」(T3・7)
「神秘的活動の理論及び実際」(T6・2)
「透視研究と迷信」(T8・5)
土井晩翠
「心霊世界実在の科学的証明」(S16・10)ほか
望月百合子*1
「生きている宗教バハイ」(S6・5)ほか
★印は長期連載物

 宗教関係記事だけでなく、詩人・小説家の作品も掲載されている。たとえば、

尾崎翠
「太陽は逝く」(T3・6)
「夜の空」(T3・6)
萩原朔太郎 米昭和初期「中外詩壇」選者
「まず奇蹟を示せーー宗教への要求として」(S7・1)
「仏教と現代文芸」(S9・7)
「宗教と現世利益」(S14・12)
山村暮鳥
「小品詩」(T10・1)
「日ざかり」(T10・7)

 このうち、朔太郎の分だけ調べてみた。「仏教と現代文芸」以外の2篇は全集未収録である。しかし、外村彰「萩原朔太郎全集未収録資料紹介ーー『中外日報』掲載・散文八篇と選評」『前橋文学館紀要』3号があるので、他にも全集未収録の作品が掲載されているようだ。宗教新聞ではあるが、他にも何か知られざる記事・作品が載っているかもしれない。