神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2007-04-01から1ヶ月間の記事一覧

ここにも市河彦太郎の影が・・・

下嶋哲郎『謎の森に棲む古賀政男』(講談社、1998年7月)にも市河彦太郎の名前が。 古賀政男の昭和13年11月の日米親善音楽使節について、 古賀によれば、外務省の市河(彦太郎/文化事業部第三課長)が古賀に、 <フィンランド公使時代、レストランへゆくとか…

藤澤親雄と有島武郎

大沸次郎は「私の履歴書」(『私の履歴書 文化人2』)で一高時代(大正4年9月〜7年7月)のこととして 岸村は漱石を尊敬していて、どうした道をたどってか、有島武郎の麹町の家で、毎週、ホイットマンの詩を有島さんが読んでくれる会があるのに出ていたのに…

さらばBIGBOX古書市のオヤジたち

かつて坪内祐三は『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』で次のように書いている。 高校一年の一九七四年のある日、私は、早稲田の古本屋で、懐しの『COM』と出会った。 (略) あれは、その年、一九七四年の五月か六月のことだっただろうか。高田馬場のBIGBO…

宮本常一も読んでた『魔の宴』

『宮本常一 写真・日記集成』別巻によると、昭和25年6月30日の条の後に、次のようなメモがあるとのこと。 (略)太宰治、田中英光の作品に心をひかれ、『チャタレイ夫人』を肯定する気持。木村艸太の『魔の宴』*1には最も心をうたれた。自らの中にある弱さに…

 戦後の三角寛のもう一つの姿

『下中彌三郎事典』中の「ほめよう運動」の項によると、 昭和二十九年(一九五四年)九月一日、文京区雑司ヶ谷町三七田村霊祥主唱により発足したものである。機関誌は月刊『ほめよう』を発行し、事業としては、随時各所で、講演会、座談会、音楽会、映画の会…

松本フミと柳田國男・堀一郎

松本フミなる人について、デイヴィッド・グッドマン、宮澤正典『ユダヤ人陰謀説 日本の中の反ユダヤと親ユダヤ』(講談社、1999年4月)によると、 松本フミは富士山明光院に世界宗教研究所をつくった。そして一九五八年に刊行された松本の著書『富士戒壇院建…

仮性トンデモ本だった『秋田雨雀日記』

秋田雨雀と、戦前期のトンデモ世界の王、酒井勝軍は共にエスペランチストという共通点があるほか、秋田のいとこが酒井のシンパだったという。 『秋田雨雀日記』によると、 昭和10年4月6日 青森の木村哲郎が用足しにきて家にいる。(略)木村は妙な古代文化の…

大東亜ト学としての市河彦太郎

昭和16年イラン公使となる前の市河彦太郎はスメラ学塾の講師として活躍している。昭和17年のイランからの帰国後は、文化学院の西村伊作の釈放に奔走したり、また、「書物蔵」によれば、読書運動にも多少関係していたようだが、国際文化振興会の総裁高松宮の…

朝倉文夫と三角寛

『野依秀市全集』第2巻(実業之世界社、昭和41年9月)中の「朝倉文夫の巻」に、三角寛も出てきた。 私が初めて会ったのは昭和二十年ごろ、大分県人会の会合の席だったと思う。(略) その後、「一夕君と飯を食いたいのだが、料理屋なんか嫌いだから、家へ来…

第一書房の長谷川巳之吉

長谷川郁夫『美酒と革嚢 第一書房・長谷川巳之吉』で、『セルパン』(昭和7年8月号)の「社中偶語」について、 話は玄文社時代に出版した坪内逍遥の「役の行者」に及び、「明治以来の小説戯曲が全部土塊に消え去つても此の作だけはいつか堀(ママ)り出され…

図書館員も差配した中田邦造司書官

『矢部貞治日記 銀杏の巻』に東大の司書官だった中田邦造が出てきた。 昭和16年7月9日 一般の事務を了へてから江川、岡と三人で先日川上君と話したことを僕から報告し、結局鈴木さんの問題に帰るといふことから、岡君の意見で図書館の河合司書官*1を呼び、三…

嬉し恥ずかし、夢の古本合戦再び −超革命的古本オタ集団の巻−

ワケあって現実の古本合戦に参戦できないため、仮想古本合戦を再び構想中(昨年2月9日〜参照) 登場予定人物 タテジュン・・・横田順彌氏とは無関係 小谷崎暑し・・・小谷野敦氏とは無関係 白岩鳩子・・・・黒岩比佐子氏とは無関係 ナンダッケ不可思議・・南…

剣山に隠されたソロモン王の秘宝をめぐる怪しい人達(その2)

戦前から剣山の発掘を行った高根正教や内田文吉については、その詳しい経歴が『特高月報』昭和15年10月分に記載されている。なぜ、特高月報に掲載されているかと言うと、昭和15年7月23日に不敬罪で検挙されているからだ。同月報によると、内田は、 四国剣山…

黒田礼二(岡上守道)とカール・ハウスホーファーの接触

ハウスホーファーの『太平洋地政学』(大空社、2005年5月)中の参考資料Ⅰ、クリスティアンW.シュパング著/石井素介訳「カール・ハウスホーファーと日本の地政学」*1によると、 また、ハウスホーファーの著作も、すでに早くから書評の対象になっていたことは…

剣山に隠されたソロモン王の秘宝をめぐる怪しい人達(その1)

『矢部貞治日記 銀杏の巻』(読売新聞社、昭和49年5月)に面白い記述がある。 昭和13年10月10日 六時に安井君と一緒に築地の治作といふ料亭に行き北京の武田南陽氏のところで知り合った角田清彦氏と会食。北京では話をする機会はなかったが、今日は氏も大い…

国民精神文化研究所の所長以上に恐れられた藤澤親雄

以前書いたのだけど、『反体制エスペラント運動史 新版』(三省堂、1987年7月)に「この『我等』の第三号、つまり一九一九年三月号に「エスペラントの沿革」を書いたのが、なんと藤沢親雄、戦争中に国民精神文化研究所なるものを主宰し、「国民精神の作興」…

美人の宝庫、国会図書館

小谷野敦「美人好きは罪悪か? 3 知的美人の居場所」(『一冊の本』3月号*1)によると、 それにしても、今の私が、お嫁さんにしたいと、という目で美人を見るようになると、美人集結の場というのが、また違ってくる。最近そういう意味で、美人をしばしば発…

みづらに萌えてどげする!?

だれぞが萌えてるみづらの「東洋精神研究所」。役員の中に「医博池田統治郎」なる人がいるが、NDL−OPACによると『興亜婦人の髪型 みづら 改訂増補』(東洋精神研究会、昭和14年)の著者らしい。「東洋精神叢書」の第1巻とのことで、続刊はあるだろうか。

スメラ学塾誕生の秘密

小島威彦らによって創設されたスメラ学塾。まだまだ、謎が多いようだ。 『戦前における右翼団体の状況 中巻』(公安調査庁、1964年)に、同塾について 本塾は「日本を心とするスメラ世界を建設するため、忠誠な指導的戦士を養成すべきである」として、昭和十…