『矢部貞治日記 銀杏の巻』(読売新聞社、昭和49年5月)に面白い記述がある。
昭和13年10月10日 六時に安井君と一緒に築地の治作といふ料亭に行き北京の武田南陽氏のところで知り合った角田清彦氏と会食。北京では話をする機会はなかったが、今日は氏も大いに論じた。新民主義、金本位、国際資本の問題から、大本教の話しに移り、更にいろは文字とヨハネ伝の関係になり、ユダヤと日本の関係になり、その証拠としての四国剣山の発掘に及び、更に角田氏が池田侯爵の家に十年間もゐたといふことで鳥取のことが問題になり中々話しは尽きなかったが十時過ぎ分かれて帰る。
三村三郎『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』によれば、武田南陽は「元北京の「新民報社」社長、日猶懇話会理事、大陸で永く活躍した人で中国の史実に詳しい」、角田清彦は「元日猶関係研究会の創立者の一人、この運動の先駆者として知られている。長く大陸にあり、武田南陽、藤沢親雄氏らとも親交あり、ユダヤ問題で各方面に出入し多少誤解されている点もあるようにきいている」とある。
また、角田や高根正教、内田文吉らによる発掘は昭和11年6月から開始されたという。
ソロモン王の秘宝が隠されているという剣山の発掘に関わった人物は他にも色々いて、戦後は例の仲木貞一がそうだが、山本英輔元海軍大将(海軍大将 山本権兵衞の甥)は戦前から関与している。そして、山本にはある畏れ多い方を巻き込もうとしていた証拠がある。
山本と同じ海軍軍人であるその人の昭和19年の日記によると、
三月二日 夜山本英輔大将来談(四国五剣山*1ニ黙思[ママ]録指示ノ宝物探シ進ミアルコト、仝所ニ関スル黙思録ノ解釈謄写持参)。
四月三日 一九〇〇山本英輔大将、内山智照同伴(言霊学、四国剣山ノ件)。
四月十二日 〇九〇〇 軍令部。大学校ニユキ寺本少将ニ黙思[ママ]録、言霊学、四国剣山ノコト尋ネ、ヤハリ後援シタリ勉強スル必要モナシト思フ。
七月二十六日 [予定約束]朝、山本英輔大将ニ電話シテ、四国剣山ノ件、帝大等ノ考古学ノ先生デモ、ソノ方カラ価値アリトナレバ「ヤレ」ト声ヲカケヨイガト話ス。
本当は、ソロモン王の秘宝とかについて予備知識のない人ために解説すべきだろうけれど、面倒くさいから省略。ググればあるみたい。
この日記の筆者は高松宮殿下でした。いや、ホントこの日記には皇戦会やクラブシュメールのメンバーも登場する(昨年5月28日参照)やらで、オソレナガラ「仮性トンデモ本」というべきか。
追記:3月2日の条に、「剣山」ではなく「五剣山」という香川県の山が出てくるのは聞き間違いか、それとも五剣山でも探索していたか?