神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

図書館員も差配した中田邦造司書官


『矢部貞治日記 銀杏の巻』に東大の司書官だった中田邦造が出てきた。

昭和16年7月9日 一般の事務を了へてから江川、岡と三人で先日川上君と話したことを僕から報告し、結局鈴木さんの問題に帰るといふことから、岡君の意見で図書館の河合司書官*1を呼び、三人で彼の意見を聴く。氏の話では、中田司書官といふのが全国の司書に通じ、少しいゝ条件で優秀なのを東大に集める努力をやってゐるといふことで、我々が研究室の事情を話したら、鈴木氏を辞めさす時期が大体定まれば、後任は何とでもして推薦するといふことになった。

(参考)
昭和18年1月19日 研究室の鈴木司書官急性肺炎で今暁死去の由で、驚いた。気の毒でもあり、研究室の事務上大いに困る。

結局、鈴木司書官に引導を渡すことはできなかったみたい。
中田司書官て、図書だけでなく、全国の図書館員にも通じていたのだね。
また、図書館だけでなく、研究室にも司書官がいるとは勉強になった。


(参考)
矢部貞治は、大正15年3月東京帝国大学法学部政治学科卒。4月同大学法学部助手。昭和3年5月助教授。7年4月政治学講座担任。14年8月教授。

*1:河合博と思われる。