神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

第一書房の長谷川巳之吉


長谷川郁夫『美酒と革嚢 第一書房長谷川巳之吉』で、『セルパン』(昭和7年8月号)の「社中偶語」について、

話は玄文社時代に出版した坪内逍遥の「役の行者」に及び、「明治以来の小説戯曲が全部土塊に消え去つても此の作だけはいつか堀(ママ)り出される時が来ると思ふ」と熱っぽく語る。


と記されている。


長谷川巳之吉坪内逍遥について見てみよう。


坪内逍遥の日記によると、

大正10年8月17日 玄文社長谷川巳之吉より 「役行者」再版の事申来る 切妻型と改植の事だけ申遣る


大正11年6月18日 玄文社の長谷川巳之吉より、「行者と女魔」八月号ニ掲載の事喜んで諾する旨 返辞来


大正11年7月5日 玄文社の内山*1へ原稿を交付す


大正11年8月1日 玄文社より「行者と女魔」謝儀200


昭和2年1月13日 午前梅園へ漫歩、七八部咲く 玄文社長谷川と堀口大学に逢ふ


昭和2年1月31日 長谷川巳之吉


昭和8年3月19日 第一書房長谷川巳之吉来、影絵役の行者を単独本として版も全く別製にして出したし云々


『役の行者』は大正6年5月初版、10年9月改訂再版。長谷川が玄文社に入社したのは大正7年とされるので、彼は初版には関与していない。また、「行者と女魔」は『役の行者』の改作で、『新演藝』(玄文社)大正11年8月号掲載。日記により坪内の方から話を持ちかけたことがわかる。

昭和8年の「影絵役の行者」とは、『藝術殿』の昭和7年1月号から5月号までに連載された「神変大菩薩伝」のこと。『役の行者 附・神変大菩薩伝』(冨山房百科文庫昭和13年6月)中の河竹繁俊の解説によると、「完結後、第一書房から絵巻風の豪華版として出刊される約がありながら、その機に恵まれず今日まで経過した」とある。


ついでに、他の日記中の長谷川を記録しておくと、
木下杢太郎の日記には

昭和5年9月3日 午前中長谷川巳之吉尋ね来る。


秋田雨雀の日記には

大正8年1月16日 夜、三上君を訪う。玄文舎[ママ]の長谷川巳之吉君にあった。


追記:『すばる』5月号で綿矢りさへのインタヴューを読む。綿矢が、「卒論は『「走れメロス」の建築』です」と言うと、「もろ柄谷行人じゃないですか」とつっこまれているが、柄谷を読まないわすには、意味がわからん(汗

*1:内山佐平と思われる。