神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

スメラ学塾誕生の秘密


小島威彦らによって創設されたスメラ学塾。まだまだ、謎が多いようだ。
『戦前における右翼団体の状況 中巻』(公安調査庁、1964年)に、同塾について

本塾は「日本を心とするスメラ世界を建設するため、忠誠な指導的戦士を養成すべきである」として、昭和十五年五月十七日末次信正大将を塾頭として大島浩白鳥敏夫、石原広一郎、津田信吾、小島威彦らによって開設されたものである。


「津田信吾」という名前は初耳。調べてみると、昭和5年6月から20年12月まで鐘紡社長だった人。小島の自伝にも名前はないし、同塾で講演した記録もなく、また、同塾関係者が著作を刊行した世界創造社、アルスなどから著作を刊行した気配もない。まだまだ、スメラ学塾の創設には、謎が隠されているようだ。


(参考)石原広一郎は、石原産業会長。マレー半島の鉄鉱石採掘、南洋資源の開発に従事した人物で、スメラ学塾で講義を行った記録がある。