神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

京都における戦前の合同古書目録『書燈』と戦後の合同古書目録『書之燈』

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紫陽書院が、一時期戦前の『日本古書通信』や古書目録を出品していた。写真の「戦前京都の古書目録5点 ¥600」もその時入手したものである。「合同古書目録『書燈』1号(書燈会事務所、昭和8年1月) - 神保町系オタオタ日記」で紹介した京都における戦前の合同古書目録『書燈』が2冊入っていると思っていたが、よく見ると『書燈』2号(書燈会、昭和8年3月)と『書之燈』3号(阪倉庄三郎、昭和25年6月)であった。後者は、『日本古書目録大年表』(金沢文圃閣)に記載なし。
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『書燈』の同人は、写真のとおり。マキムラ書店、創造社、阪倉書店(現京阪書房)が現存している。巻頭に藤田徳松「B・Cに関する『パンフレツト』四五」。「B・C」は、「バース・コントロール」(産児制限)のこと。当時は、「B・C」がモダン語だったか。編輯兼発行者は、成文堂の長谷川庄一。
『書之燈』の同人は、文華堂、京阪書房、高尾書林(大阪市)、臨川書店、若林春和堂伏見店*1赤尾照文堂、京都書院、西村為法館。京阪、臨川、若林、赤尾が現存している。最近河原町六角下ルから二条寺町東入へ移転した赤尾は、本目録では洋書のみ出品している。驚くのは、京都書院の名前があること。京都で爺さんクラスの本好きの人は、京都書院を覚えているだろう。新刊書店としてしか知らなかったが、『京都書肆変遷史』によると、古本屋からスタートしていた。創業者藤岡健太郎は、明治37年1月現在の天理市で農家の長男として生まれた。大正13年徴兵検査終了を機に出奔し、入洛。うどん屋の出前持ち、駅前でパン売り、新聞配達、人力車引きをした後、夜店で古本販売(大正14年古書組合加入)。学資を得て、夜間部に通い、昭和5年立命館大学専門部を卒業。昭和4年に東山松原上ルに店を持ち、新本組合に加入。5年に大宮通鞍馬口上ルに移転。戦後の23年に河原町四条上ルに古書会館を設置したが、後に河原町店に改称。24年に(株)京都書院を設立し、初代社長に就任。一誠堂書店で修行して独立した反町茂雄が標準的な古本屋と思ってしまうが、夜店の古本屋から始めた人の方が多いのかな。
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裏表紙には、蔵書印。「長崎東衙官許」や「川北文庫」は「NIJL 蔵書印データベース」にも収録されているが、「伊勢国朝明郡丹波印」は収録されていない。編輯兼発行人は京阪書房の阪倉庄三郎*2で、戦前の『書燈』から唯一『書之燈』でも同人となっている。『京都書肆変遷史』によると、昭和56年80歳で亡くなっているので、この時は49歳位になる。印刷所は、「『書物礼讃』を印刷した唐舟屋印刷所の堀尾幸太郎・緋紗子兄妹ーー高橋輝次『古本こぼれ話〈巻外追記集〉』への更なる追記ーー - 神保町系オタオタ日記」や「からふね屋印刷所の堀尾幸太郎と白川書院の臼井喜之介 - 神保町系オタオタ日記」で紹介した「からふね屋印刷所」だ。