神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『書物礼讃』を印刷した唐舟屋印刷所の堀尾幸太郎・緋紗子兄妹ーー高橋輝次『古本こぼれ話〈巻外追記集〉』への更なる追記ーー

本は人生のおやつです!!(略して「本おや」)で購入した高橋輝次『古本こぼれ話〈巻外追記集〉』(書肆艀、平成29年)は45頁で600円。高橋氏の著書の特徴として、「古本が古本を呼び」、校了直前まで追記に次ぐ追記をされることがある。本書は、『ぼくの創元社覚え書』(亀鳴屋)と『編集者の行きた空間』(論創社)への追記の追記の追記の・・・追記が単行本の外に溢れ出して「巻外追記集」としてまとまったものである。12篇収録されていて、その中に「京都で『書物礼讃』の発行元を知る」がある。京都の古書店大学堂で『書物礼讃』という戦前の書物雑誌を見つけ、同誌の発行所杉田大学堂書店が実は大学堂だったことに気づくという話である。手持ちの『書物礼讃』2号を見ると、大正14年9月発行で、発行所は京都市三条通寺町東入の杉田大学堂書店である*1。印刷所は京都市先斗町三条南入の唐舟屋印刷所、印刷者は堀尾幸太郎。7号、昭和2年11月から「からふね屋印刷所」と変わり、所在地も京都市東山線仁王門南となっている。
この印刷所が実は只の印刷所ではなかった。西原和海「夢野久作と堀尾緋紗子」『日本古書通信平成24年8月号によると、堀尾の「からふね屋印刷所」は夢野久作が「猟奇歌」を寄稿した*2『猟奇』(昭和3年5月創刊)の印刷所であった。また、堀尾の妹緋紗子も同誌に「三条公子」名義で「猟奇歌」を寄せている*3。西原氏によると、緋紗子は本名寿子、明治41年生まれ(推定)、昭和4年12月没。印刷所の文芸雑誌『加羅不禰』(「からふね」と読む。短歌と詩を中心とし、表紙絵は津田青楓)の編集・発行人でもあって、『猟奇』繋がりで『加羅不禰』4号、昭和4年9月に夢野の短歌や詩が載っているという。印刷所が文芸雑誌を発行するとは珍しい話で、しかも夢野が寄稿しているというから驚きである。ちなみに、西原氏は「芦屋のちいさな古本市」の目録でM書店*4出品の『加羅不禰』5号(堀尾緋紗子追悼号)などを入手したという。
なお、「近代書誌・近代画像データベース」で「からふね屋印刷所」が印刷所である本を検索すると、前田夕暮『顕化植物』(人文書院昭和11年)がヒットする。日本心霊学会・人文書院宛の書簡群の一部を見たことがあるが、もしかしたら同印刷所からの書簡も含まれていたかもしれない。数え22歳で亡くなった才女堀尾緋紗子、そして京都の出版社とからふね屋印刷所の関係も探求したら面白そうだ。
(追記)
以上で話は終わるはずであった。ところが、「からふね屋印刷所 堀尾幸太郎」でググると、からふね屋印刷所は大正10年唐船屋印刷所として創業、現在も株式会社からふね屋として東山区に存在していた。しかも「からふね屋の由来」によると、竹久夢二の京都在住時代に親交のあった堀尾幸太郎が夢二の絵に描かれていた屋号から名前をもらったと伝えられているという。堀尾兄妹は、夢野だけでなく、夢二とも交流があったことになる。

編集者の生きた空間

編集者の生きた空間

*1:『京都書肆変遷史』によれば、大学堂は明治40年頃新京極三条下ルで創業し、三条通寺町東入ル北側を経て、昭和9年に現在地(河原町三条下ル西側)に移っている。

*2:『「猟奇」傑作選』(光文社、平成13年)によれば、「月蝕(猟奇歌)」(昭和3年8月)、「猟奇歌」(昭和4年6月)、「猟奇の歌」(昭和7年1月)などタイトルに「猟奇」又は「れふき」を含むものは11回ある。

*3:『「猟奇」傑作選』によれば、『猟奇』昭和4年8月号。その他、堀尾緋妙子名義で「春と浪漫(小説)」を昭和4年3月号に、「或る手紙(小説)」を同年4月号に書いている。

*4:街の草か。