神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

太田喜二郎はなぜ内藤湖南の葬儀に出席しなかったのか?ーー太田喜二郎邸が来月公開ーー


 「京都モダン建築祭」の一環で太田喜二郎邸の見学ツアー(事前予約制)があるようだ。太田が大正5年に京都帝国大学工学部講師になって知り合った藤井厚二*1に設計を依頼した建物である。藤井も含めた太田周辺の近代文化人、京大関係者・画家・文学者・新聞記者・政治家などのネットワークについては、昨年から今年にかけて京都文化博物館で「近代文化人ネットワークーー太田喜二郎の周辺ーー」展が開催されたところである。拙ブログでも「太田喜二郎人生最後の年賀状ーー津崎信子宛年賀状からーー - 神保町系オタオタ日記」で同展に出品された『署名貼付帖』について言及した。
 一方、今年3月陶徳民編著『内藤湖南の人脈と影響ーー関西大学内藤文庫所蔵還暦祝賀及び葬祭関連資料に見るーー』(関西大学出版部)が刊行された。内藤の「還暦祝賀関係資料」を見ていると、太田の『署名貼付帖』(内藤を含む158人の署名)と共通する名前が幾らか見つかった。太田を含む700人ほどの『決算書および賛成者芳名録』では、20人ほどが『署名貼付帖』と共通する。京大関係者では荒木寅三郎、植田寿蔵、狩野直毅、河上肇島文次郎新村出、羽田亨*2濱田耕作、深田康算、松村鶴造らである。
 そのほか、黒田天外*3白鳥庫吉らの名前もある。活字の五十音順なので、『署名貼付帖』で署名の一部が不明とされているものが解明できないかと思って調べてみたが、とくに解明できた署名はなかった…
 また、昭和9年6月に亡くなった内藤の「葬祭関係資料」も見てみた。『御参会各位芳名録 その一』には大島五郎(彙文堂)、鹿田静七(鹿田松雲堂)、反町茂雄(弘文荘)といった古書店主の署名がある。「その一」が参会者の順番通りであれば、さすが抜け目のない古書店、真っ先に駆け付けたことになる(^_^;)
 不思議なのは、『御参会各位芳名録』、『香典帳』、『弔電記録』などに太田の名前がないことである。忙しくて内藤の死去を知らなかったのだろうか。それとも、それほど親しくはなかったということだろうか。