神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧

文壇奇人谷崎潤一郎と生方敏郎

生方敏郎は、「文壇暗流誌」の(6)「文壇奇人傳」*1で谷崎潤一郎について、次のように書いている。 谷崎潤一郎君はまた奇人伝中の人物たるを失はぬであらう。彼は創作の数に於いては殆んど流行児の誰よりも寡なく、易々として流行児になつた成金党である。…

小野秀雄と三ケ島葭子の関係

岩野泡鳴の日記「巣鴨日記第二」*1によると、 大正4年1月14日 荒木滋子氏来訪(松原至文氏を敬文館へ紹介の件)。同氏を案内して、小野秀雄氏並に三ケ島葭子氏へ行く。 大正4年2月12日 滋子氏来訪(敬文館から僕が引き受けた透谷論を松原氏へ譲つてくれろと…

これが芦部信喜だ!

岩波書店から芦部信喜『憲法第四版』が高橋和之補訂で刊行。 ところで、戦前、旺文社から『新若人』なる総合雑誌が刊行され、鈴木庫三や、小島威彦、藤澤親雄らが執筆していたことは紹介したね。 同誌昭和16年10月号では、「懸賞小論 若人の叫び」の受賞作の…

諸岡存と高村智恵子

諸岡存を『昭和人名辞典』*1で見ると、医博、医師、渋谷区金王町75 佐賀県準之助長男、明治12年5月25日佐賀市生 大正3年九大卒業、同学助手拝命 同8年渡英精神病学研究、同10年任九大助教授 昭和3年現職に就く それよりも、諸岡存(もろおかたもつ)は高村智…

東洋精神研究所と諸岡存

『右翼事典』(双葉社)の巻末に「右翼・民族派運動年表」というのがあって、昭和19年10月21日の条に「諸岡存、四王天延孝等反ユダヤ主義の大直会設立」とある。前から、この諸岡存って何者だろうと思っていたところ、『戦時下日本文化団体事典』第3巻(大空…

建国大学講師としての藤澤親雄

トロツキーを招聘しようという話もあった建国大学。 藤澤親雄は、その建国大学の講師であった。湯治万蔵編『建国大学年表』(建国大学同窓会建大史編纂委員会、昭和56年11月)によれば、 昭和14年11月24日 藤澤親雄氏の特別講演。 昭和15年8月24日 後期授業…

斎藤美奈子の友人

朝日新聞で、斎藤美奈子さんが青山七恵『ひとり日和』の書評を書いている中で、「ところで私の友人は「吟子さんの家の駅が特定できた」といっていた。東京の私鉄、京王線の急行も止まらぬ小さな駅だ。駅名は内緒」と書いていた。「猫猫」を思い出した。小谷…

読売新聞記者中谷徳太郎と幸田露伴

三上於菟吉の前に、長谷川時雨と同棲していた中谷徳太郎だが、『日本近代文学大事典』によれば、明治19年7月生まれ、早大英文科の聴講生となり、明治42年卒業。 幸田露伴の「六十日記第一」*1に中谷徳太郎という名前の人物が出ていた。 明治43年7月1日 読売…

アルス社長北原鐡雄と大東亜宣伝連盟

大東亜宣伝連盟について、『戦時下日本文化団体事典』第3巻(大空社、1970年7月。底本:『日本文化団体年鑑 昭和十八年版』)で判明した。 所在地:東京市京橋区木挽町五ノ一 役員:理事長アルス社長北原鐡雄、副理事長藤澤友吉商店企画部長中田房次郎、常務…

『出版文化人名辞典』で見るトンデモ

「書物蔵」で「レファ本」として挙がっている『出版文化人名辞典』(日本図書センター, 1988.2 第1巻 。底本:『現代出版文化人総覧 昭和18年版』(協同出版社昭和18年刊))は昔、参照してネタを拾ってあったので、紹介しておこう。 「図書発行者一覧」(大体…

内田魯庵の文壇裏話

例によって三村竹清の日記(『演劇研究』第19号、平成8年3月)によると、三村が林若樹から聞いた内田の文壇裏話として、 大正5年4月22日 夜 林氏来 筍と種いもを貰ふ 内田魯庵きての話に 此節秋声[ママ]のかきし小説に 或未亡人か情人なる法学士へ泊りて 其…

柳田國男と仲木貞一の接触

大塚英志氏は、雑誌『怪』での連載などで、藤澤親雄、増田正雄ら偽史運動の関係者と柳田國男の接触を紹介している。もっとも、藤澤が柳田と接触した時点では、まだ藤澤はトンデモ色(て、どんな色だろう)に染まっていなかったが、そういうのも柳田と偽史運…

やたら目立つ女性誌の創刊

女性誌の「創刊」の文字がやたら目立つと思ったら、「本よみうり堂」によると三女性誌同時創刊は24年ぶりとのこと。いったい誰が買うのかしらね。 追記:「既に死んでいる」(笑)はずの加藤典洋氏が『群像』4月号に「グッバイ・ゴジラ、ハロー・キティ」を…

正宗白鳥『自然主義盛衰史』改め、『自然主義文学盛衰史』

講談社文芸文庫の『自然主義文学盛衰史』の印象が強いため、当初から『自然主義文学盛衰史』というタイトルかと思っていたら、初出の『風雪』(昭和23年3月〜12月、六興出版部)では「自然主義盛衰史」だった。その後、六興出版部版で『自然主義盛衰史』とし…

今、なぜ東大ブーム!?

『週刊文春BUSINESS』で「東大現役合格生のとにかく美しいノート100冊」というのを見る。なぜか東大ブームらしい。当然ながら、誰でも合格するわけではないし、入ってもモテるわけではないそうだから、ブームになってどうすんだという感じ。そう言えば、昔、…

谷崎潤一郎と長野草風

谷崎潤一郎と長野草風については、1月17日に言及したけれど、「朱雀日記」(明治45年4月−5月「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」連載)に既に名前が出ていた。 葵祭見物の為めに、東京から平出修氏や長野草風氏や、知人がドカドカと押し寄せて来て、二三日一…

澁澤龍彦が愛した谷崎潤一郎

人の本棚を見ると、その人の人柄がうかがえて楽しいものだが、著名人となると、雑誌の書斎拝見などで写真をみることができるぐらいである。もっとも、蔵書目録が刊行される稀なケースもある。そんな一冊、澁澤の『書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録』*1でつかの…

日露戦争ブーム再び?

「猫を償うに猫をもってせよ」経由で見た田中貴子さんのブログ「夏への扉」に次のように書いてあった。 追伸。生涯勉強、をまたしても痛感 今、日露戦争のことについて初歩的な勉強をしているんですが、「義和団の乱」と言ってはいけないらしいことを知り、…

森茉莉は久しぶりに外出したか?

森茉莉。昭和6年3月、再婚相手の佐藤彰(東北帝国大学医学部教授)と離婚。東京の実家にこもっていたとされる。斎藤茂吉の日記*1に次のような記述があった。 昭和6年4月26日 森鴎外先生未亡人奥様来ラル。令息令嬢御同伴ス。まり子サンの件ヲ話。洋行の話。 …

戦時下の北京燕京大学の謎

中薗英助『鳥居龍蔵伝』(岩波現代文庫、2005年9月)中の鳥居の年譜によると、 1939年5月 中華民国北京の米国ミッション系燕京大学(レイトン・スチュアート校長)から招聘され、8月その客座教授に就任。 1941年12月 太平洋戦争勃発のため北京燕京大学は閉鎖…

もう一人の変態研究者

秋田昌美『性の猟奇モダン 日本変態研究往来』が青弓社から刊行されたのは、1994年9月だから、もう10年以上も前か。 この本で引用されていたので、斎藤夜居『大正昭和艶本資料の探求』(芳賀書店、1969年)を古書展で見かけたときは速攻で買ってしまったっけ…

劇作家にしてトンデモ世界の住民仲木貞一と谷崎潤一郎

『日本アナキズム運動人名事典』にも登場する劇作家仲木貞一。チャーチワードのムー大陸説の紹介や、竹内文献などの偽史運動にも深く関与したトンデモ系の人物でもある。 谷崎潤一郎全集の書簡篇中、濱本浩宛書簡で彼の名前に出会うことができた。 大正13年9…