神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

谷崎潤一郎と長野草風


谷崎潤一郎と長野草風については、1月17日に言及したけれど、「朱雀日記」(明治45年4月−5月「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」連載)に既に名前が出ていた。


葵祭見物の為めに、東京から平出修氏や長野草風氏や、知人がドカドカと押し寄せて来て、二三日一緒になつて歩き廻つたので、すつかり疲れて了つた。


(参考)『近代日本美術事典』(講談社)によると、


長野草風 ながの・そうふう 日本画家 一八八五−一九四九
明治一八年(一八八五)一〇月四日、東京に明治維新の閣老安藤信正の孫として生まれる。本名守敬。(略)一四歳のころより邨田丹陵に学び、ついで二〇歳ごろより川合玉堂に師事、草風と号した。その後、安田靫彦今村紫紅らが明治三三年結成した紅児会に参加し、研究を進める。明治四〇年第一回文展で「六の華」が三等賞を受賞、続いて「埋経図」(四四年第五回文展)、「稲荷詣」(大正元年第六回文展)などを出品し、大正二年第七回文展で「朝と夕」が褒状となった。(略)三年日本美術院が再興されるとともにこれに参加し、五年九月同人に推挙される。(略)昭和二四年(一九四九)二月六日、脳溢血のため死去。