神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

劇作家にしてトンデモ世界の住民仲木貞一と谷崎潤一郎


『日本アナキズム運動人名事典』にも登場する劇作家仲木貞一。チャーチワードのムー大陸説の紹介や、竹内文献などの偽史運動にも深く関与したトンデモ系の人物でもある。


谷崎潤一郎全集の書簡篇中、濱本浩宛書簡で彼の名前に出会うことができた。


大正13年9月20日付け
佐藤紅緑氏の件ですが、山本有三菊池寛、仲木員[ママ]一、中村吉蔵三(ママ)氏のうち、紅緑氏と最も個人的に親しみのある人は誰でせうか。その人へ手紙を出しますから一寸御しらせ下さい。


大正13年10月12日付け
ところで佐藤紅緑氏から別紙の如き書面が来ましたが、此れでは小生何のために仲木氏に頼んだのか訳が分らなくなり、不愉快千万です。依つて僕は此の面倒な問題から全然手を引き、前言を取り消す旨を仲木氏へ申送りました。紅緑氏には別に手紙を上げません。いづれ近日君に会ふまで放つて置くつもりです。


大正13年10月15日付け 
僕は紅緑氏とは無関係になりたいのです。もともと紅緑氏を認めてゐた訳ではなく、あなたとの義理あひ上推選したに過ぎませんから。


大正13年11月19日付け
昨日帰宅、留守中佐藤紅緑氏から又々小生宅をロケーションに貸してくれとか面倒な事を云つて来てゐます。モウ曖昧にしておくのはイヤですから寧ろハツキリとあなたから僕の気持ちを説明して下さい。至急に願ひます。


濱本は、当時改造社京都支局長。谷崎が、紅緑を何に「推選」したのかは不明。また、「ロケーション」云々は、紅緑が当時東亜キネマ所長だった*1関係だろう。


この佐藤と谷崎のトラブルめいた話は、仲木の遺族が、日本近代文学館に寄贈した資料で解けるかもしれない。
仲木都富「父・仲木貞一の資料」(『日本近代文学館』131号、1993年1月10日発行)によると、


里見紝谷崎潤一郎、長與善郎、正宗白鳥山本有三吉井勇からのもの*2は大正十四年当時、中村吉蔵博士のもとで「現代戯曲集」の編集をしていた頃のものと思われる。(略)
父が晩年とりくんでいたのは、ユダヤ研究であった。絶筆「日本とユダヤ 世界の創造」三百余枚は、今だに段ボール函の底に眠っている。しかし私は、数ある父の著訳書のうち昭和十七年、岡倉書房刊の「チャーチワード 世界最古のミュ帝国の文化(邦題・南洋諸島の古代文化)」がなぜか印象ぶかい。


おっと、いかん。よくよく調べると、同第146号(1995年7月15日発行)に、谷崎の仲木宛書簡(大正14年1月20日付け、1月21日付け)が掲載されている。しかし、それを見ても謎は解けなかった。同館で所蔵している谷崎の仲木宛書簡がこれですべてかは不明。それはそうと、同館には、仲木関係のトンデモ資料も埋もれているかもしれないね。コタツネコを脱出して、近代文学館でひなたぼっこするか。


さて、仲木の経歴を『日本近代文学大事典』で見ておこう。


仲木貞一 なかぎていいち 明治一九・九・一一〜昭和二九・四・二八
劇作家。金沢の生れ。父は長州の人。早大英文科卒。はじめ読売新聞記者。大正三年芸術座の舞台主任。六年には新国劇の座付き作者となる。のち東京中央放送局、松竹キネマに関係、一二年からは日本大学講師となった。


最後に、仲木をめぐるエピソードを一つ。横田順彌『百年前の二十世紀』(筑摩書房、1994年11月)に大正9年4月5日発行の『日本及日本人』春季増刊号「百年後の日本」特集が紹介されている。そこで、仲木は次のように予言している。


国威頗る振わず
われら子孫の日本人は、ますます根性がひねこびれて、ずるがしこくなり、小闘紛擾をこととして、諸外国にあなどられ、国威すこぶる振わざるものとなります。この間に「支那」は真に大国として、ますます発展し、米国と提携して、日本をいじめることとなるでしょう。台湾や朝鮮は、むろん日本の手を離れてしまいます。


敗戦により、自分のかつての予言が百年をまたずに的中してしまったことを知ったとき、仲木の気持ちはいかばかりであったか。


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*1:『日本近代文学大事典』による。

*2:引用者注:書簡のこと。