神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

森茉莉は久しぶりに外出したか?


森茉莉昭和6年3月、再婚相手の佐藤彰(東北帝国大学医学部教授)と離婚。東京の実家にこもっていたとされる。斎藤茂吉の日記*1に次のような記述があった。


昭和6年4月26日 森鴎外先生未亡人奥様来ラル。令息令嬢御同伴ス。まり子サンの件ヲ話。洋行の話。


「洋行の話」というのは、杏奴と類のフランスへの画業修行(昭和6年11月出発)のことと思われる。この日、茉莉は同行したのだろうか。この記述だけでは、謎だ。


(参考)森類「森家の人びと−鴎外の末子の眼から」(『新潮』1992年2月。『森家の人びと』(三一書房、1998年6月)所収)

茉莉姉さんもさすがに大きな顔はせず、家に閉じこもっている。(略)母が、杏奴姉さんと僕とをフランスに絵の勉強に行かせたのは、清水の舞台からとび降りる気で、いちかばちかの勝負に出たというところだろう。森家の交際範囲内の、<インテリ>の一群が母と茉莉姉さんに好意を持たず、白い眼で見るようになっては、杏奴に適当な縁談を望むのも難しい。この上は杏奴自身の力で突破口を見出すより仕方がない。
「杏奴、西へおいで」
だが、杏奴一人をやるわけにいかない。僕が付属物となった。(略)杏奴二十三歳、類二十一歳。この二人をパリにやることにしたのは全く母の独断で、親戚中は冷やかな無言でその成行きを見守っていた。

*1:斎藤茂吉全集』第30巻(岩波書店、昭和49年4月)