諸岡存を『昭和人名辞典』*1で見ると、
医博、医師、渋谷区金王町75
佐賀県準之助長男、明治12年5月25日佐賀市生
大正3年九大卒業、同学助手拝命
同8年渡英精神病学研究、同10年任九大助教授
昭和3年現職に就く
それよりも、諸岡存(もろおかたもつ)は高村智恵子の診察を行った医師として、知る人ぞ知る存在であった。
高村光太郎の昭和10年1月8日付け中原綾子宛封書*2によると、
今僅かに諸岡存博士の発熱療法といふのにたよつてゐます、もう三回注射しました。注射すると熱が四十度近く出て、其で幾分でも恢復の途につくのだといふ事です、
とある。光太郎の年譜によると、同年2月末、智恵子はゼームス坂病院(南品川)の15号室に入院とあるから、その前に諸岡博士の治療を受けていたようだ。