神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

小野秀雄と三ケ島葭子の関係


岩野泡鳴の日記「巣鴨日記第二」*1によると、

大正4年1月14日 荒木滋子氏来訪(松原至文氏を敬文館へ紹介の件)。同氏を案内して、小野秀雄氏並に三ケ島葭子氏へ行く。


大正4年2月12日 滋子氏来訪(敬文館から僕が引き受けた透谷論を松原氏へ譲つてくれろとのことで、承知を与へた)。


荒木滋子は、青鞜社同人荒木郁子の姉。本人も『青鞜』の執筆者(『『青鞜』人物事典』(大修館書店、2001年5月)の「調査中の『青鞜』の人々」による)。


三ケ島葭子(みかしまよしこ)は、明治19年8月生、昭和2年3月没の歌人大正3年小学校の代用教員を退職して、倉片寛一と結婚、同12月に長女が誕生。明治42年新詩社入社、44年青鞜社同人、大正5年「アララギ」入会。


岩野泡鳴は、明治44年4月大阪新報記者となり、大正元年9月退社。大正4年1月『筧博士の古神道大義』を名著評論社から刊行(売捌所は敬文堂)。


小野秀雄明治44年1月萬朝報入社、大正4年初め頃退社。


「松原至文」は、おそらく松原至大(まつばらみちとも)の誤記。明治26年3月生、昭和46年3月没の児童文学者。大正4年早大英文科卒。同7年東京日日新聞入社。


著名な人が色々登場するけれど、どういうつながりなのか、よくわからない。


追記:岩野の妻(大正2年3月入籍)、清子は青鞜社の同人。また、当時、岩野は巣鴨村字宮仲2517に居住、三ケ島も巣鴨村向原3274に居住。
また、小谷野先生の教示によると、松原至文という、「明治16年生れ、國學院大学卒の僧侶、文筆家」が存在するとのこと。


『日本近代文学大事典』をよくよく見ると、松原至文(まつばらしぶん)も掲載されていた。明治43年東京専門学校英文科卒。真宗大谷派の仏家の出。在学中から文名高かったが、卒業後は仏門に専念して文壇を離れたとある。「文壇を離れた」というのは、どうも違うようである。


和田敦彦『書物の日米関係 リテラシー史に向けて』(新曜社、2007年2月)を見る。GHQの言語将校だったハーバート・パッシン12月8日参照)も出てきた。書物奉行氏が好きそうな本だが、まだ見ていないかすら?

*1:『岩野泡鳴全集』第14巻、臨川書店、1996年6月