骨董屋のサイトウさんが亡くなったのは、一昨年だったか。東寺、四天王寺、北野天満宮、新大阪駅前などの骨董市でよくお見かけしました。一見クズの絵葉書を原則100円(その日の気分によっては、はね上った)で売っていて、その中に個人的に「どひゃあ」というような物が紛れていてお世話になった。あらためて、ありがとうございました。今回紹介する石田一良から家永三郎宛の絵葉書は、6年前曽根崎のお初天神(露天神社)の骨董市でサイトウさんから入手したようだ。
消印は昭和32年7月23日で、石田は敦賀市松島公園内の専安寺に滞在していた。裏面は気比神宮と松ヶ崎の写真で、絵葉書としては無価値だろう。文面の全部は解読できないが、
・祇園祭の日から避暑に来たが、毎日雨が降り海に入れないこと
・仕事も少し持ってきたものの、いつも通り書物は積ん読になりそうなこと
などが、書かれているようだ。
石田は、昭和14年京都帝国大学文学部史学科国史専攻卒で、卒論は「明治開化期と市民文化の成立」*1、同期に五来重がいた。大学院へ進学し*2「日本文化史/主トシテ近世文化」を研究した*3。西田直二郎の門下生である。昭和32年当時は同志社大学文学部教授で、前年1月『浄土教美術:文化史学的研究序論』(平楽寺書店)を刊行し、翌年5月には東北大学文学部教授に転身する時期である。
この絵葉書を入手する直前には、大阪切手まつりで寸葉さんから家永の平楽寺書店宛葉書(昭和31年)を入手しており*4、本ではないが「古本が古本を呼ぶ」と感じたものであった。こんな逸品が埋もれていたサイトウさんのあの絵葉書の山はどうなったのだろうか。