郷土研究誌『上方』を主宰した南木芳太郎の日記には、度々東田という人物が出てくる。たとえば、『南木芳太郎日記二』(大阪市史料調査会、平成23年12月)を見てみよう。 (昭和十一年) 二月九日 (略) 夕食後に東田君の宝船蒐集展覧を観に行かうと思つて…
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