神保町系オタオタ日記

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昭和10年3月坪内逍遥の葬儀に伴う妻坪内センから岡山の教育者花田一重宛礼状


 岡山の教育者・郷土史家であった花田一重宛書簡群の中でも、ひときわ異彩を放つ黒枠の封書である。昭和10年3月4日付け(封書の消印は同月8日)の坪内センからの礼状が入っていた。センは、同年2月28日に亡くなった坪内雄蔵(逍遥)の妻である。逍遥の葬儀告別式は3月4日青山斎場で早稲田大学学園葬により行われた。礼状の文面は、弔詞・厚志への礼である。逍遥と地方の一教員*1だった花田との関係は、今後調べる予定である。
 おそらく何百枚、いや千枚を超えたであろう印刷された礼状だ。しかし、早稲田大学図書館や坪内博士記念演劇博物館での所蔵が確認できなかった。日本近代文学館の「特別資料検索」でもヒットしない。入力されていない所蔵品の中に含まれている可能性もあるが、意外と珍しい資料かもしれない。もっとも、特に新知見が得られるわけではない。
 逍遥協会編『坪内逍遥事典』(平凡社、昭和61年5月)によれば、センは文久3年生まれ、昭和24年没。逍遥没後、熱海の双柿舎に一人静かに住み、亡くなるまでひたすら逍遥の冥福を祈り続けたという。
参考:「河竹繁俊も霊気療法 - 神保町系オタオタ日記」、「中支派遣軍に応召中の池田彌三郎から岡山の郷土史家花田一重宛の絵葉書 - 神保町系オタオタ日記

*1:昭和10年当時は、岡山県玉島高等女学校の教員