神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

三田村鳶魚らの西鶴輪講と夏秋十郎の娘夏秋園子ーー吉田暎二の『歌舞伎研究』会員だった夏秋園子ーー


 昨年だったか下鴨納涼古本まつりで竹岡書店の3冊500円均一台に『歌舞伎研究』(歌舞伎出版部)が大量に出ていた。散々迷ったが、3冊のうちの1冊として第1集、大正15年9月再版を購入。今は無き大書堂のラベルが貼られていた。本誌は、歌舞伎座に勤めていた吉田暎二が自費で編集・発行した雑誌である。大正15年6月に創刊され、第30集、昭和3年1月まで刊行された。三田村鳶魚や林若樹が執筆していることに加え、「歌舞伎研究会員名簿(第一回)(五月二十四日迄)」が載っているので、買ったようだ。

 今名簿を見てみると、ほとんどが知らない名前である。189人中知っているのは、石井良助、岩瀬文庫、だるまや、増田七郎安藤鶴夫などである。古川ロッパの弟で実業之日本社を創立した増田義一の養子になった七郎については、「東大附属図書館司書増田七郎は増田義一の養子だった - 神保町系オタオタ日記」を参照。安藤は、翌年東京中学校を卒業するまだ数え19歳の青年である。「歌舞伎研究会員」と言っても、歌舞伎の研究者ではなく、『歌舞伎研究』の購読者の集まりである。

 その他には、「忘れられた哲学者」土田杏村、新聞学の小野秀雄とともに夏秋園子の名前に出会えた。園子は、三田村鳶魚の日記で西鶴輪講等の出席者として度々出てくる名前で、以前から気になっていた女性である。『三田村鳶魚全集』第26巻(中央公論社、昭和52年5月)から、園子が登場する一部を引用しておこう。なお、「別集」とあるのが、西鶴輪講の日である。

(大正十五年)
十二月四日(土)
(略)◯夏秋十郎氏息女同伴。(略)
(昭和二年)
九月二十五日(日)
(略)
例集、諸家、木村捨三*1、柴田泰助*2松本亀松、水谷弓彦*3、山中笑*4、真山彬*5山崎静太郎*6、野々村戒三。林若吉*7、外に中央公論社伊藤茂雄氏、夏秋氏娘。
(略)
十月二十三日(日)
(略)◯別集、一代男五巻、松本亀松、木村捨三、間民夫、山中笑、服部愿夫、水谷弓彦、山崎静太郎、林若吉、柴田泰助氏、夏秋氏の娘。
十一月六日(日)
(略)◯例集、山崎楽堂、木村仙秀、柴田宵曲、松本生、夏秋園子氏。
(昭和三年)
五月三十日(水)
(略)◯夏秋園子、毎日読書に来る、二階の一室を充てておく。(略)

 鳶魚の「西鶴輪講の思い出」*8によれば、西鶴輪講昭和2年6月から始まり、山中共古水谷不倒、林若樹、山崎楽堂真山青果笹川臨風、木村仙秀、笹野堅、柴田宵曲、嶋[ママ]田筑波*9森銑三、石割松太郎、玉林晴朗、忍頂寺務らが参加した。このような錚々たる面子の仲間になった園子の経歴は、幸い父親の十郎が東大卒の内務官僚だったためある程度分かる。「人事興信録データベース」で第8版、昭和3年7月の「夏秋十郎」がヒットする。園子は、十郎の養女「園」として出ている。明治39年生まれ、佐賀県の北原清次三女から十郎の養女になり、三輪田高女出身である*10。執筆活動としては、昭和4年から5年にかけて『彗星』(朝日書房)や『旅と伝説』(三元社)に寄稿している他、昭和2年9月26日の読売新聞夕刊に小説「もんぺ」を書いた夏秋園子も同一人物だろう。また、国会図書館デジコレで『学苑』244号(昭和女子大学光葉会、昭和35年6月)がヒットし、「会員消息」の「転居先不明会員」として国文科の「夏秋園子(二)」があるので、三輪田高女の他に昭和女子大学の前身である日本女子高等学院を昭和2年に卒業している才媛だったと思われる。
 その後の園子の消息は、よく分からない。『人事興信録』14版、昭和18年10月の「夏秋十郎」の項では養子満雄の妻として健在である。しかし、23版、昭和41年5月の「夏秋満雄」の項では妻の名前は別人である。満雄の経歴を見ると、昭和19年東洋拓殖新京支店次長、20年ソ連に抑留、22年引揚である。長男、長女は健在なので園子は子供と共に引き揚げ後、亡くなったと一応推定しておこう。
 

*1:木村仙秀の本名

*2:柴田宵曲の本名

*3:水谷不倒の本名

*4:山中共古の本名

*5:真山青果の本名

*6:山崎楽堂の本名

*7:林若樹の本名

*8:三田村鳶魚全集』第23巻収録。初出は、『年刊西鶴研究』復刊第1集(古典文庫、昭和23年10月)

*9:『調査研究報告』41号(国文学研究資料館)の「眞山青果文庫調査余録」に神保町系オタオタ日記 - 神保町系オタオタ日記」参照

*10:更に、国会図書館デジコレでヒットする『人事興信録』11版、昭和12年3月で馬渡満雄を婿養子に迎え、昭和7年9月に長男を産んだことが分かる。