神保町系オタオタ日記

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『調査研究報告』41号(国文学研究資料館)の「眞山青果文庫調査余録」に神保町系オタオタ日記

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 『調査研究報告』41号(国文学研究資料館学術資料事業部、令和3年3月)の「眞山青果文庫調査余録」中、青田寿美「二 青果旧蔵書の変遷」の注4で拙ブログ「吉野作造の旧友としての真山青果ーー野村喬『評傳眞山靑果』への補足ーー - 神保町系オタオタ日記」に言及していただきました。ありがとうございます。研究機関の雑誌にブログ名が載るとは感慨深いものがある。「WEKO - 国文学研究資料館学術情報リポジトリ」から読めます。
 さて、同誌の寺田詩麻「五 青果宛書簡の解題・翻刻Ⅱ 四代目河原崎長十郎の青果宛書簡」を読んでいたら、「東京都の島田さん」が出てくる。昭和19年(推定)10月30日付け書簡で、もう少し引用すると、「河原崎文書の件について、具体化いたしたく 先づ東京都の島田さん資料の方の下原稿うつしにても始めたい」とある。寺田先生は、「筆者がもっとも身元を知りたい資料所蔵者、「東京都の島田さん」は現在調査の手がかりがない」としている。私の直感では、これは島田筑波ではなかろうか。ただし、直感なので何の根拠もない。
 筑波は青果の周辺にいた人物ではあるが、長十郎との関係は不明である。経歴は、『島田筑波集』下巻(青裳堂書店、昭和61年7月)の「あとがき」によれば、明治18年茨城県新治郡和村常名字並木生。本名一郎。出京後、岡野知十*1に従って、筑波と号した。小田原書店を経営、月刊誌『今昔』を主宰。かたわら東京市職員、嘱託として、『東京市史稿』、『御府内備考』、『東京都社寺備考』、『本郷区史』、『葛西志』などの基礎史料の編纂・校訂に尽瘁したという。昭和26年9月没。蒐書家なので、『昭和前期蒐書家リスト:趣味人・在野研究者・学者4500人』にも掲載されている。住所は、東京市神田区五軒町。蒐集分野は、江戸座俳書、同音曲舞踏演劇関係、江の島関係、浮世絵師関係、書画鑑定に関する参考書である*2。浮世絵師関係も集めていたので、役者である河原崎家に関する史料も持っていたのかもしれない。また、書簡に「東京都の」とあるが、住所としての東京都(昭和18年7月東京市東京府から東京都に)でなく、所属としての東京都だったとするとまさしく筑波にふさわしいことになる。

*1:柴田宵曲が筑波から知十について元宣教師と聞いたことは、 「研究者にも忘れ去られたメソジスト派伝道師としての俳人岡野知十 - 神保町系オタオタ日記」参照

*2:出典は、集古会の会員名簿である『千里相識』(集古会、昭和10年9月)。『書物関係雑誌細目集覧』1巻(日本古書通信社、昭和49年9月)所収。