神保町系オタオタ日記

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「[翻刻]青果日記(昭和三年・昭和四年)」(国文学研究資料館)への補足ーー眞山青果とプラトン社・博文館・春陽堂の編輯者指方龍二ーー

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 『真山青果とは何者か?』(星槎グループ発行・文学通信発売、令和元年7月)255頁に、寺田詩麻先生により青果の昭和3年12月から5年3月にかけての日記が紹介されている。日記好きの私としては読みたいなと思っていたら、やってくれました。機関リポリトジ「WEKO - 国文学研究資料館学術情報リポジトリ」で翻刻が公開されたのである。索引も付いていて、便利。早速読んだので、気付いた点を補足しておこう。
 索引によれば、指方という人物が5回出てくる。一部紹介すると、

(昭和三年)
十二月三十日
 (略)
 指方君浄書のカードを持来る。筆耕料四十円ほどなり。(略)
(昭和四年)
三月六日
 (略)昼過指方君来る。沢田君についての記事を求むる也。よき程に答へ置く。
 (略)

 青果は昭和3年の前期にプラトン社の『女性』へ「坂本龍馬」を、『苦楽』へ「薩摩紅梅」を執筆している。プラトン社と言えば、「プラトン社の『苦楽』創刊 - 神保町系オタオタ日記」や「読める日記帳・資料として使える日記帳としての『文藝自由日記』(文藝春秋社出版部) - 神保町系オタオタ日記」で言及した編輯者指方龍二が在籍していた出版社である。青果の日記に出てくる指方は、指方龍二の可能性が高い。
 指方の経歴は、『現代出版文化人総覧 昭和二十三年版』(日本出版協同、昭和22年12月)の「現代執筆家一覧」に立項されている。それから要約すると、明治31年長崎県生、別名神島英夫。職歴は「博文館[、]春陽堂、明朗*1各編輯」、現職は「日本ユーモア編輯長、豊文社」である。昭和3年に解散したプラトン社から博文館に移った時期は不明である。『文藝年鑑:昭和六年版』(新潮社、昭和6年3月)の段階で、『朝日』(博文館)の編輯者である。青果は、昭和4年1月創刊の同誌同年4月号から6月号にかけて「乃木将軍」を連載している。前記同年3月6日の条中「沢田」は同月4日に亡くなった沢田正二郎で、「乃木将軍」は沢田のために書いたものである。また、『近代文学研究叢書』64巻(昭和女子大学近代文化研究所、平成3年4月)所収の「眞山青果」の「資料年表」によると、指方は『週刊読書人』昭和42年5月6日号に「作家の代作と二重売り」を書いている。これらにより、日記中の指方は博文館の編輯者としての指方ではないかと推定できるが、確証はない。研究者による調査が待たれる。
 この他、昭和3年12月30日の条に「孚水書(ママ)房の主人」として出てくる金子孚水については、「島田筑波と春峰庵事件の金子孚水による『孚水ぶんこ』ーー若井兼三郎の蔵書印「わか井をやぢ」についてーー - 神保町系オタオタ日記」で言及したところである。今回の翻刻は前半ということなので、後半を楽しみに待ちます。
参考:「『調査研究報告』41号(国文学研究資料館)の「眞山青果文庫調査余録」に神保町系オタオタ日記 - 神保町系オタオタ日記
 

*1:『ユーモアクラブ』(春陽堂文庫出版)の改題誌