斎藤昌三『新富町多與里』(昭和25年1月、芋小屋山房発行。『斎藤昌三著作集第5巻』収録)中の「新富町多與里」附記によれば、
以上で「新富町だより」は終る。[昭和二十四年]五月には既述の如く木挽町に移転したが、従前通り火曜金曜は上京して、終日入り換り立ち代る社友諸子との会談で、いつも帰る時間を忘れるばかりである。常連としては(中略)関根康喜、稲村徹元、(中略)の諸子(中略)が参加する等々、頗る賑はしい。
いづれ、これらの中の有志で、関西の愛書家連盟に対抗して、東日本愛書家連盟も作らるることであらうと思ふ。
ダレゾの好きなテツゲンさん、斎藤昌三に師事していた稲村徹元氏こそ御健在みたいなので、関根のことを語ってくれないかすら・・・
追記:上記「新富町だより」は、八木福次郎『書痴 斉藤昌三と書物展望社』でも引用されていた。もしかしたら、八木氏も関根康喜と面識があるのかもしれない。