神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 プラトン社の根本茂太郎


プラトン社々員の根本茂太郎については、昨年8月23日に紹介したように坪内逍遥の日記に登場する。その他、泉鏡花の「玉造日記」(大阪朝日新聞大正13年7月21日〜9月6日)にも「丸の内ビルヂングに室のある、女性、苦楽の発行所、プラトン社の東京支社なる根本氏」として名前が見られる。


根本の名前が頻出するのは、荷風の『断腸亭日乗』。引用すると、

大正11年12月30日 昏暮中山太陽堂店員根本氏来談。


大正12年4月30日 夕根本氏来談。


大正12年9月9日 午前小山内吉井両君太陽堂番頭根本氏と相携へ見舞に来る。小山内君西洋探検家の如き軽装をなし、片腕に東京日々新聞記者と書きたる白布を結びたり。


大正13年2月6日 夜太陽堂原藁を取まとめて使にて市ヶ谷田町根本氏方へ送り届けたり。


大正13年5月15日 草藁を太陽堂の根本氏に送る。


大正14年1月11日 太陽堂の根本氏来談。


大正14年4月8日 根本氏来訪。


この後、『断腸亭日乗』に根本の名前はでてこないが、彼はプラトン社在職中に亡くなっていた。『岡本綺堂日記』によると、

大正15年3月27日 プラトン社の根本茂太郎君死去の通知が来た。何分にも陽気が悪いので、病人や死人が多いやうである。


大正15年3月28日 根本君の告別式で午後一時ごろから出てゆく。愛宕下の青松寺である。


とある。