「今泉定助をめぐる人々」は(その4)も(その5)もある(一部の方々には受けているか?)のだが、ちと飽きてきたので、路線変更。
昨年読んだ本の中でベストテンに入ると思われるのが、『731』(青木冨貴子著)。その調査力には感服するけれど、一つ見落としている(?)ことがあった。
731部隊員の免責を得る鎌倉会議を取り仕切ったとされる、亀井貫一郎なる人物について、青木氏は、「彼について残された資料は少ない。唯一、財団法人・産業経済研究協会によって刊行された『回想の亀井貫一郎−激動の昭和史を陰で支えた英傑』という本を見つけた。」と記しているが、『亀井貫一郎氏談話速記録』(日本近代史料研究会編。昭和45年1月発行)という本がある。
どちらの本にも、亀井の自伝「五十年「ゴム風船」を追って」が収録されているのだが、『回想の〜』(平成12年4月発行)では削除されている記述があるのだ。
自伝の昭和18年5月1日の所で、「財団法人聖戦技術協会」(産業経済研究協会の前身)の設立に伴い、理事長に就任したことや、協会が関係した項目を挙げているのだが、『回想の〜』では
イ 液体酸素及びその魔法壜、
ロ ロケットミサイル
ハ 風船爆弾など。 と記されている部分がある。
この「風船爆弾など。」という部分は、『亀井貫一郎氏談話速記録』では、次のような驚くべき記述になっている。
風船爆弾。関東軍防疫給水部、石井中将部隊の細菌爆弾及び謀略兵器。ANTHRAX(脾脱疽菌)開発(協力)。陸軍登戸研のレーサー[ママ](いわゆる殺人光線)、(連絡)。
『回想の〜』では、「関東軍防疫給水部」以下の記述が「など」にされてしまっているのである。
亀井が731部隊員の戦犯免責のために奔走したのは、実は他人事ではなかったのかもしれないのである。
追記:この自伝によると、亀井はナチス副総統のヘスや、地政学者ハウスホーファーと会談している。僕にとっては、そちらの方が関心がある。その話は、またいずれ。