神保町系オタオタ日記

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図録『寿岳文章 人と仕事 展』の刊行ーー向日市文化資料館で公開された向日庵資料の凄さーー

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 今年1月から3月にかけて、向日市文化資料館で「寿岳文章 人と仕事 展」*1が開催された。コロナ禍による講演会延期、会期延長などもあって、関係者の皆様お疲れ様でした。その図録『寿岳文章 人と仕事 展』(寿岳文章 人と仕事 展実行委員会、令和3年3月)が刊行され、御恵投いただきました。ありがとうございます。記念に、寿岳に関する過去のエントリーを年譜式にまとめてみた。

大正4年 寿岳が通った東枝書店の目録「中学生だった寿岳文章の心をとらえた東枝書店ーー東枝書店の『図書総目録』(大正2年)から見るーー - 神保町系オタオタ日記
昭和4年 『ブレイクの画論』(芸艸堂)刊行「壽岳文章と芸艸堂 - 神保町系オタオタ日記
昭和8年 向日庵へ移る。設計者澤島英太郎の生年「壽岳文章邸「向日庵」を設計した澤島英太郎の生没年 - 神保町系オタオタ日記
昭和10年 『古本年鑑』(古典社)に探求書「壽岳文章が『古本年鑑』(古典社)で探求書とした『世界奇王ドン・キホーテ』 - 神保町系オタオタ日記
昭和15年 第2回昔の和紙展観(和紙研究会)「昭和15年和紙研究会主催第二回昔の和紙展観目録 - 神保町系オタオタ日記
昭和22年 京都民藝協会会長就任「故河井寛次郎先生を偲ぶ会と京都民藝協会 - 神保町系オタオタ日記
昭和24年 『文学会報』2号(関西学院大学文学会)への寄稿「古書クロックワークから壽岳文章「随想『手紙』」掲載の『文学会報』2号(関西学院大学文学会)を - 神保町系オタオタ日記
昭和25年 『文学会報』4号への寄稿「壽岳文章にとっての瞼の詩人エドモンド・ブランデン - 神保町系オタオタ日記
昭和27年 中山寺住職杉本勇乗宛の年賀状「仏教者としての寿岳文章と父鈴木快音 - 神保町系オタオタ日記
同年 『読書の伴侶』(基督教学徒兄弟団)の座談会に出席「自宅「向日庵」を図書館にしてしまった壽岳文章の読書人生 - 神保町系オタオタ日記
昭和60年 寿岳章子の『京古本や往来』(京都古書研究会)への寄稿「寿岳章子の古本人生3段階ーー『京古本や往来』(京都古書研究会)からーー - 神保町系オタオタ日記

 展覧会では、特に向日庵に残る資料群に注目した。日記、書簡、蔵書図書原簿、向日庵私販刊行台帳など、残っているはずだと思っていたが、実物を見られて感激した。中島俊郎先生らによって調査が進められているそうなので、研究の進展が期待される。たとえば、寿岳については、ネットで読める栗田英彦論文「CiNii 論文 - 国際日本文化研究センター所蔵静坐社資料 : 解説と目録」によると、「英文学者の寿学[ママ]文章はもっとも影響を受けた書物に『生命の神秘』を挙げている」という。出典は、「大正デモクラシーと春秋社」『春秋』300号,昭和63年である。小林参三郎『生命の神秘』(杜翁全集刊行会、大正11年5月)*2の発行所は春秋社内にあったので、「もっとも影響を受けた」という記述は、同社のPR誌『春秋』への寄稿ということを割り引いて考える必要がある。それにしても、寿岳が小林の本をいつ、なぜ読んだのか気になるところである。これも、日記や蔵書図書原簿などで解明できるかもしれないのである。
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