神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『和田英作日記』から見た大正10年の柳田國男におけるフランス

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大正10年5月柳田國男は横浜からアメリカ、フランス経由でジュネーブへ向かった。国際連盟委任統治委員会委員に選ばれたためである。この道中の動向は、家族や知人宛に出された葉書・絵葉書などで追うことができるので、『柳田國男全集』別巻1の年譜で詳細に記載されている。今回、横浜からフランスまで柳田と同行した画家和田英作の日記を見てたら、もう少し追加できるようだ。手塚恵美子「和田英作日記[1921年8月16日~1922年2月7日]」『近代画説』16(明治美術学会、平成19年12月)から柳田が出てくる一部を引用する。

(大正十年)
八月三十一日 晴
(略)柳田君倫敦より今夕帰着せりとて訪問せらる。互に無事を祝し、三人*1して晩く迄語る。
(略)
九月一日 快晴
(略)柳田君と十時宿を出で(略)Magazin du Louvre に柳田君の為めに Ruban を求め(略)柳田氏、香苗*2と三人、今夕卓を共にして夕食す。(略)

柳田は大正10年7月ジュネーブ到着後、8月からオーストリアチェコスロバキア、ドイツなどを経てイギリスへ行っていた。実は、手塚氏によると、和田の日記は大正10年5月から8月15日までの分もあるという。「より資料的価値が高いと思われる」同月16日以降の日記の紹介を優先したとのこと。柳田を研究している者には、むしろ船中やアメリカ、フランス滞在時の動向がわかる後回しにされた日記の方が重要だろう。早く紹介してほしいものである。なお、本日記には矢代幸雄も頻出するので、ミネルヴァ書房から刊行が予定されている稲賀繁美矢代幸雄』でも活用されると思われるほか、当時パリに滞在していた無想庵夫妻も登場するなど多数の芸術家の名前が見られ、貴重なものである。

*1:柳田、矢代幸雄、和田の3人

*2:末弟の洋画家和田香苗