神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

稲賀繁美『矢代幸雄』(ミネルヴァ書房)への補足ーー研究者は先ず「神保町系オタオタ日記」のブログ内検索をするべしーー

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 ミネルヴァ日本評伝選は平成15年から刊行が開始され、令和元年に200冊に達した。その後も順調に刊行されている。本年1月現在刊行が予定されている本で、関心があるのは

樋口一葉与謝野晶子新島八重の3冊(佐伯順子)
泉鏡花(東郷克美)
萩原朔太郎(エリス俊子・栗原飛宇馬)
佐田介石(谷川穣)
西田直二郎(林淳)
石田幹之助(岡本さえ)
宮本常一(須藤功)
知里真志保(モコットゥナシ)
石母田正(磯前順一)
式場隆三郎(服部正)

 先月には、稲賀繁美矢代幸雄:美術家は時空を超えて』が刊行された。同書の刊行予定は、拙ブログの「『和田英作日記』から見た大正10年の柳田國男におけるフランス - 神保町系オタオタ日記」で言及したことがあって注目していた。『和田英作日記』に言及するだろうと予言していたが、やはり言及していた。しかし、私が「華北綜合調査研究所の内紛と大蔵公望 - 神保町系オタオタ日記」や「戦時下の美術史家−矢代幸雄の場合−(その2) - 神保町系オタオタ日記」で紹介した『大蔵公望日記』や華北綜合調査研究所には触れられていない。稲賀著は、戦時中の矢代について、矢代『私の美術遍歴』(岩波書店、昭和47年9月)に基づき、

美術研究所からの早期退職により、矢代は狭義の「太平洋戦争」勃発から半年で、一切の公務を離れ、久方ぶりに「書斎生活に、籠居」する身となる。大戦末期、近辺の平塚に焼夷弾が降るようになっても、読書や執筆が邪魔されることはなかった。(略)

としている。戦前生まれの人の自伝・回想で特に戦時中の言動に関する部分は、要注意だろう。矢代の場合も、昭和17年6月美術研究所を退任した後、同月に設立された華北綜合調査研究所のおそらく嘱託となり、同年10月には研究所のある北京に滞在している。一切の公務を離れ、蟄居していたというわけではない。
 拙ブログの記事でも特に古いエントリーは、ググっても上位には出てこない。今回の矢代幸雄もさっぱり見当たらない。そこで、研究者の諸君は、研究対象の人物・事項を調べたい時や何かヒントを得たい時は拙ブログのブログ内検索をしてみよう。思わぬ手がかりが得られるかもしれないからである。