神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

増田正雄と貴族院議員水野直子爵ーー柳田国男、増田正雄、結城礼一郎を繋ぐものは?ーー

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後に国際政経学会常務理事となる増田正雄が柳田国男の日記に出てくることは「結城禮一郎と柳田國男 - 神保町系オタオタ日記」で紹介したところである*1。その他戦前の各種の日記に名前を見つけることができるが、今回は伊藤隆・西尾林太郎が資料紹介した「水野直日記ーー大正一一・一二年ーー」に見つけた。

(大正十一年)
五月六日
(略)
一、結城礼一郎ヲ自宅ニ訪問、本日西下シテ下村氏ヲ訪フ由。
  増田正雄氏ニ面会(木挽町二丁目瀬川旅館)。
  大阪市西区江戸堀南通五丁目七
(略)  

住所がほぼ一致している*2ので、当時日露実業の役員だった増田と同定してよいだろう。この時期の水野子爵は大正9年貴族院議員を辞め、11年10月に再度貴族院議員に就任するまでのブランクの時期であるが、タイトルでは貴族院議員とした。増田と水野の二人は、大正12年1月22日にも会っている(「[トンデモ][柳田國男]国際政経学会の増田正雄は昭和34年まで生存していた - 神保町系オタオタ日記」参照)。水野直日記に結城無二三の息子結城礼一郎の名前も出てくるのも興味深い。柳田は、大正11年1月10日に増田と共に礼一郎と思われる人物にも会っているからである。柳田、増田、礼一郎がどういう関係にあるのかは、未だ不明である。