神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大阪CIE図書館のアメリカ人館長と対立して辞めた動物学者筒井嘉隆

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これまた尚学堂で見つけた牛尾桃里画・筒井嘉隆文『ニッポンの鳥』(童画社、昭和17年11月)。表紙に破れがあって、1500円。3万部発行されているが、児童書なので残存数は意外に少ないか。国際児童文学館と三康図書館が所蔵。冒頭筒井は「お母様方に」で、

(略)興味本意の低調なものが、少年少女の科学知識をどれほど損ふか、筆者は平日動物園で沢山の例を見てきました。先づ正しい良い本に目をならす事が肝要です。

と述べている。これを執筆した時は大阪市天王寺動物園の職員で、昭和20年3月から21年2月までは園長となっている。筒井の『町人学者の博物誌』(河出書房新社、昭和62年1月)の「バードウォッチングの思い出」によると、

私は大正十三年に京大(そのころは京都帝国大学であった)の理学部動物学科に入り、大学院では生態学を専攻した。そのときの指導教授はもうなくなられた川村多実二先生であった。野鳥研究の権威であり、愛鳥家であった。

なるほど、本書の執筆には適役だったわけだ。本書では、かはせみ、つばめ、ひばりなど11種の鳥について平易な文章で解説している。ところで、前掲『町人学者の博物誌』の「博物学から自然保護へ」を見てたら、ビックラちょ。

一年足らずで、獣医中尉の前園長が除隊になって帰って来たので、園長を譲り、教育局の社会教育課に移った。(略)翌二十二年には出向して、進駐軍のSCAP CIE LIBRARY(連合軍総司令部民間情報教育局大阪図書館、今のアメリカ文化センターの前身)の創設と運営管理を担当した。文化施設に通じていて英語もわかるというのが原因であったようだ。高麗橋筋の東洋棉花KK(トーメン)の建物を接収したもので、これも二年ほどでアメリカ人の館長と意見があわないのでやめ、市役所に帰って上司を説き、二十五年の四月から自然科学博物館の創設にとりかかかった。

筒井嘉隆が大阪CIE図書館に勤めていて、しかも館長と対立して辞めていたのか。平成元年4月に亡くなっているが、生前誰か大阪CIE図書館時代のことについて訊いていないだろうか。
(参考)筒井の長男筒井康隆が家族でやっていた同人誌『NULL』については「文庫櫂で青空書房旧蔵の『NULL』創刊号を」参照