
ネットで読める青江智洋「江馬務の〈歴史の可視像化〉論ー京都画壇と風俗研究会の萃点を論点としてー」『人文学報』120号を拝読。江馬が創設した耽奇会に関する記述があった。
(略)時代趣味互楽会は1927年(昭和2)頃に休会したようであるが、1931年(昭和6)には耽奇会なる同種の会を興して、時代に応じた料理・音楽・遊戯の復元研究に取り組んでいる 103)。(略)
103) 「耽奇会創立」(『風俗研究』129号、風俗研究所、1931年、28頁)。耽奇会は1934年頃に休会したようである(略)
「戦前期の京都にあった「現代」の付かない風俗研究会 - 神保町系オタオタ日記」で言及した『風俗研究会一覧・風俗研究所一覧 附耽奇会一覧』(風俗研究会、昭和7年3月)の「耽奇会一覧」を見てみると、「昭和五年四月本会が創立された」とあった。これは、早速青江論文の補足を書かねばと思ってしまった。しかし、青江論文が昭和6年創立とした典拠である『風俗研究』129号(昭和6年2月)を見なければと、思い直した。幸い「風俗研究会大阪支部の南木芳太郎と中山太一の中山文化研究所ー創立100周年の中山文化研究所ー - 神保町系オタオタ日記」で言及した天神さんの古本まつりで拾った復刻版『風俗研究』の中に含まれていた。該当箇所を挙げておく。

これによると、風俗研究会の創立20周年記念事業として耽奇会という名の風俗座談会を開設することになったようだ。そして、「『風俗研究』138号(風俗研究所、昭和6年11月)で見る風俗研究会の二十年 - 神保町系オタオタ日記」でも言及したが、風俗研究会は明治44(1911)年11月26日創立なので、昭和6(1931)年が創立20周年に当たる。「耽奇会一覧」の「昭和五年四月」創立は、誤植か記憶違いなのだろう。昭和6年4月創立が正しいと思われる。アブナイ、アブナイ。
せっかくなので、「耽奇会一覧」に載る事業内容を転記しておこう。
1座談会 毎月一回、ある題目の下に座談会を行ひ、品物持寄の会をも同時に行ふ。
2年中行事観覧 毎月概ね一回以上
3隠れたる名所旧跡宝物めぐり 臨時催す
4名物試食、時代料理試食会 臨時催す
5演技音楽鑑賞会 同
6時代儀式娯楽会 同
7趣味品頒布 毎回会員に進呈す
前記「耽奇会創立と主幹面談日開設」と重複する記述も多いので、あまり目新しい情報提供とはならなかった。
なお、『風俗研究』168号(昭和9年5月)には耽奇会の開催報告が載っていて、4月18日洛北常照寺で元禄時代の花見を象り、水谷いと子の樽人形の舞があり、元禄時代の御馳走を出し、花見手拭を土産にしたとある。この手拭は、細辻伊兵衞商店の制作でしょうね(創業410周年の永楽屋細辻伊兵衛商店と十二世芭蕉堂こと岩井藍水 - 神保町系オタオタ日記参照)。