神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

今なお大月健が遊びに来る善行堂

f:id:jyunku:20190301134021j:plainぱる出版の『日本アナキズム運動人名事典』(平成16年4月)の増補改訂版が出るようだ。この事典の「荒川畔村」「小倉清三郎」「坂本紅蓮洞」「添田亜蝉坊」「武林無想庵」「辻潤」「脇清吉」などを書いたのは大月健である。大月没後刊行された評論集『イメージとしての唯一者』(白地社平成28年4月)の略年譜から要約すると、

昭和24年2月 岡山県
昭和42年 県立賀陽高等学校卒
昭和43年 大谷大学での司書講習を受講
昭和44年 京都大学農学部図書室に、臨時職員として採用
昭和45年 京都大学農学部に本採用
平成9年4月 個人誌『唯一者』創刊
平成26年5月 永眠 

その人となりは藤原辰史氏が京都新聞平成27年4月16日の夕刊で「遊びの名手」に、「顔は日焼けして真っ黒、髭はもじゃもじゃ。シャツにジーパンに雪駄。酒と煙草と俳句をこよなく愛し、目はいつも潤んでいて、声は高く、スムーズに出てこない言葉のよどみに、誰もが彼の優しさを感じていた」と偲んでいる。今をときめく藤原先生であるが、『ナチスドイツの有機農業:「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」』(柏書房、平成17年2月)の「あとがき」にも大月への謝辞を述べている。

京都大学農学部の図書室は、わたしにとって、重要な知的生産の場であった。スタッフの大月健さんには橋本傳左衛門の資料を紹介していただき、また、シンポジウムを企画するときのみならず、ダイコンやジャガイモやニンジンを学内の空き地で有機栽培するときにもお世話になった。

藤原先生に限らず、研究を支えている大学図書館の職員に感謝している研究者は多いだろう。在りし日の大月の姿は、写真であげているが善行堂に飾られている今年2月亡くなられたうらたじゅんの絵で見ることができる。善行堂には図書館からよく雪駄履きで来ていたという。多分今も時々こっそり遊びに来ているのだろう。
(参考)「旧植民地関係資料を救った大月健

イメージとしての唯一者

イメージとしての唯一者