神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

柳田国男邸を逃げ出した岡正雄


   僕は昭和3年の9月まで先生のところにおったのです。もうとて
   も先生と朝夕、顔を合わせることに堪えられなくなり、先生の方
   も僕に我慢ならなくなったことと思います。それで先生に何度か
   ここを出たいとお願いしたのだが、うんといわない。あるときは、
   柳田は岡さえも傍におけなかったと人がいうじゃないか、といわ
   れたのです。随分勝手なことをいわれるもんだと思いましたね。
   (中略)それで、先生が朝日から帰ってこられてきてまた気が変
   わられちゃ困ると思ってすぐ運送屋を呼んで、僕は、たーっと逃
   げるようにして引越してしまったのです。
   (「柳田国男との出会い」:初出 季刊「柳田国男研究」創刊号 
   昭和48年)


(参考)岡は、昭和2年9月から、柳田に請われ、新築の砧村(現在の成城)
    の柳田文庫に移り住み、野沢虎雄と共に文庫を預かっていた。