これらの研究会あるいは談話会では、研究報告というより
も、採訪報告というような性質のものが多かったですね。
さきにも述べましたが、先生は雑誌への報告寄稿の取捨は
きわめてきびしかったのですが、こうした会合での報告で
も、生のままの資料を好まれ、雑誌寄稿は直接採集資料で
あること、これに手を加えたり、整理したり、解釈や意見
を加えたりしたものはだめなのです。ときどき報告者を気
の毒に思ったことがありました。それはともかくとして、
柳田学の基礎資料は多くの有名、無名の報告者の報告なの
です。無名の報告者の報告の上に立っている学問なのです。
ずっと後になって、先生に対する僕の悪口の一つが、柳田
学は「一将功なって万骨枯るの学問」だということです。
お前たちは報告だけしろ、まとめるのはおれがやる。僕も
いつも何か割りきれない気持で見ていました。民俗学にも
無名戦士、常民があったことを忘れることはできません。
しかし、先生のこの資料に対するきびしさがあったがため
に、フォクロアは科学的客観的資料として信憑性を獲得し、
民俗学が戦後学会における市民権を確立することができた
のだと思います。(初出同上)
(参考)岡正雄の「一将功なって万骨枯る」という悪口は人口に膾炙
しているが、「しかし」以下の文章とセットであることを忘
れてはいけないだろう。
かつて、書物奉行さんは、「一館長功なって万骨枯る」と喝破
した。
えっ、「そんなこと言ってないよ!」って・・・(汗